びーかん日記
尾行と監視され日記、略して「びーかん日記」である。これは、公然たるコーアンとその手先のイジメと弾圧の記録だ。花、鳥、蝶も少々。
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11192012弾圧と文化民族の衝突の日々9
<11192012弾圧と文化民族の衝突の日々9>
*えせジャパニーズ・カレー
それは日ごろの鬱憤から始まった。ゲストハウスに集まった日本人先輩旅行者が愚痴をこぼさないのを私は感心してみていた。
そうだろう、40年旅行者もいれば20年ぶりにかつての同輩バックパッカーが再会した、というのまであったし、20年も日本に帰っていない、という少し年配の経営者のひともいた。在タイ9年、8年というのはザラのようである。
彼らは、この地の文化を受け入れているのである。そうでなければ、何回も毎年も旅行に訪れるはずがないし、この地に住み続けるわけはないからだ。いかなる理由があるにしろ。
わたしは、自分の受けたカルチャー・ショックを、スエーデンだかの画家・ムンクの「叫び」に譬えた。わたしには、あの細密な繰り返し紋様がどうにも神経症的な、何か気障りを惹起させた。
音楽もそうだ。ラオの民族音楽に合わせた女性の手のポーズからしたくねくね踊りの際限ない繰り返しは、気を滅入らせる。おいおい何時まで続くんだ、いい加減・・・。あのフェロモンの放出はき***としか思えない。
しかし、民族の祭りがタイでもあって(ラオと基本的には同じ民族。元々雲南省から南下した民族で、中国ではたしか泰族と書いて一括している)、その帰りのピックアップ・トラックの上で男も同じように浮かれて踊っているのを目撃した。
女も男も、のべつまくなし、の音楽と踊りは同じなのである。歌垣の本家らしい、男女の掛け合い歌から発展したものだろうか。でも、日本のゆったりとした「間のある」リズムと踊りとは違うのである。
わたしは、彼らがあたかもねぷたのどんこどんこの拍子のように、それより短気にどんどこどんどこどんの現地人リズムを刻むのを何度も耳にした。それは、おれの安眠妨害に深夜何度も使われた。自分がタイ人であるのをわざわざ晒して見せているのである。
スコータイには大きな寺があって、町のなんの行事でもそこで行なわれるらしく、ある日中の敷地を通ったら、偶然大衆の「民族踊りの行進」を遭遇した。
地を這うように、どろどろと「間がなく」「際限なく」いつまで続くぬかる溝の怒涛の行進は、土煙をあげて大衆の津波となって押し寄せて来た、かのように私には見えた。
わたしは、なんだこれは、の思いでおそろしくなって、寺からさっさと逃げ出した。これはカルチャー・ショックどころの騒ぎではない。合わないのである、体質的に。この経験が、どうともならない民族の軋轢と反目を決定的にした。
1、
わたしは、長年旅行者のヒゲの先輩に日ごろの違和感を訴えた。
私には、タイ人の店舗の掃除の仕方が分からない。なぜ、道路に掃き出して済まそうとするのか。なぜ塵取りで掬わないのか。
掃き出したゴミは、風で舞って通行人の顔やらからだに掛かるわけでしょう、そしてゴミはまた道路に散るだけでしょう、その神経が分からない、と。自分とこがよければそれでいいんですかね、ほかの影響は考えないんですかね、と。
そのヒゲさんは、決してひとの悪口を言うのを潔しとしない良識のひとらしかったが、この私の愚痴に「そうなんだろうね」と控えめにうなずいた。やはり、疑問は疑問として了承されたのである。わたしばかりじゃなかった。
2、
私たちは、今度の別れに際し夕食を共にした。ビール1本と肴とそれぞれ料理を頼んだ。ところが、ビールの次に持ってきたのは最後に食べる筈の料理だった。私たちは唖然とした。
これでは、ビールが入らなくなってしまう。あとで頼めばよかったのか。
何も考えてないんだね。気遣いがない。日本なら、ふつうビールを飲んでる間中はおそらく肴を先に持って来るだろうし、料理は頃合いを見て一番最後だよな、夕食の腹ごしらえの締めくくり。
自分の仕事を先に済ませられるものは先にしてしまいたいのさ。自分の都合が優先する。タイ人はこうなんだね。
3、
ジャパニーズ・カレーの話。
チェンマイでジャパニーズ・カレーを注文した。
たしかに、皿に飯が平面に盛ってあってその端に見慣れた色のカレーが掛かっている。
しかし、食べようとよく見ると、あれ、カレーに一面コショーが掛かっている。ちぇっ、何も出す時にコショーをわざわざ念入りに掛けなくたっていいものを。
で食った。水みたいなカレーである。どろっとした日本のカレーではない。カレールーをケチって、一皿分のカレールーを使わないで、その半分いや3分の一か4分の一しか使ってないのである。しかも、うすーくして。
いやはや。なんたるケチ、ドケチ。これは雲南省仕込みか。
雲南省ではチャーハンを頼んだら、もうひき肉を親指大ひとつまみ、とピーマンの千切り1cm分しか使わない。ものすごいケチである。
この油まみれの焼き飯をどうやったらうまく食えるというのか。油を食ってるようなもんである。呆れて物も言えなかった。それが1軒だけじゃなかったから、共通しているのである。8元。写真入りのメニュー表示の大衆食堂では、これが当たり前で、現地人のようにぺらぺらと中国語で料理名を注文したら、まともなのが出て来るのは間違いないのだろうが、今度は値段がおそろしくなる。
それはともかくカレーの話。チェンマイのカレーは、こうしてすぐ幅2.5cmのカレーぷらすご飯として掬われてあっという間に腹に収まった。残ったのは、皿に大部分占領しているご飯である。皿の半分のご飯が残ったまま、はいさよなら。おかずがないと食えない。
98バーツ。高い。ったく、これがジャパニーズ・カレーかよ。けち。
4、
某タイの北のはし。
ジャパニーズ・カレーをこの最果てで発見するとは思っていなかった。
チキン・カレーを注文した。出て来たのは、紛れもなくジャパニーズ・カレーのどろりとしたルーのカレー。
へへ、とスプーンを入れて驚いた。飯がない!おいおい、どこだ?皿はインドカレーに使うような、深皿の小さめの半径のやつである。
米はたしかにあった。スプーンの先っちょにわずかにくっ付いて来たので分かったのである。ははぁ、カレーと一緒にちょびっと煮込んだな。その量たるや、小さじ1杯ほどである。
くそ、である。何か勘違いしてないか?
その飯の粒は、この地方特産のもち米系の赤米である。仕方ない、食った。ごろごろと具はぶつ切りの大きなジャガイモ大のニンジン、そして大切りのナス。それに細切れのチキン。(ジャガイモはあったか無かったか忘れた)
玉ねぎが賽の目に切って散らしてあった。それもろくに煮えてないやつ。ごろりと溶岩のように占領するニンジンとて、お世辞にも煮えているとは言えなかった。だって、スプーンで崩せないんだぜ。
飯は雀の涙、ニンジンだらけ。仕方なくナスと玉ねぎだけをすくって食べた。
チキンをひと口食べて、くさい!ツーンと生臭いにおいがする。く、く、くそ!これはきっと、ニンジンの煮えたと思ったころに、生肉をそのまま湯にぶち込んだに違いない。
別にフライパンで炒めるとか、灰汁をすくうとかしてない。そりゃそうだ、玉ねぎからして炒めた形跡がない。肉は手を付けないことにした。くさくて、とても食えたもんじゃない。
悲惨なジャパニーズ・カレーである。食った気にならない。70バーツ。田舎だけあってバンコクよりは若干安い。
5、
また、ジャパニーズ・カレー。
仕方ない、あったのである。同地で。飢えているわしは懲りずにまた注文した。
出て来たのは、例のインドカレー用の小さめの深皿ではなく、ラーメンでもだそうかというどんぶり。おいおい、見てびっくり。色が淡いグリーン。
「これはグリーン・カレーか?ジャパニーズ・カレーなのか?」
「ジャパニーズ・カレーです」
すくって驚いた。スープである。飯がない。
「ジャパニーズ・カレーというのは飯が含まれている。これには飯がない」
「いえ、これが当店のジャパニーズ・カレーです」
ったく、そうかよ、と食った。
またナスと玉ねぎが泳いでいた。ニンジンは、、、忘れた。あったかなかったか、あったとしても煮えていたか煮えていなかったか。
別に「ライス」を注文して、スープのような、薄い、しかも黄緑色のカレーなるものをじょぼじょぼ飯に掛けてすくって食べた。
ったく、おしまい。食った気にならん。飯もぼそぼその「長米」。ナスが切れたころに終了とした。ちぇっく・びん・とわい(お勘定)。85バーツ、くそっ。
勘定のころ、tシャツびちびちの腹肉つきの中年のおばんが、いやに横柄に店内に居る。ははぁ、これが店主なのか。
しゃしゃり出て言った。「これが、わが店のタイ風ジャパニーズ・カレーです」。
(はいはい、そうですか。そうなら、先に「タイ風」と書いとけヨ)
どこまでも、タイ人というのは「厚かましい」のである。自己正当化する。引かない、謙虚に学ぶということをしない。日本でもそういう店主やコックはいるが、それにしてもである。
日本人に「これは日本カレーじゃない」と言われて、いや日本カレーだと言い張る、その神経が分からない。
似非カレーは横溢している。似非日本食も。
6、
ラオのsけっと。日本人食堂が開店した。行った。
カツ丼を頼んだ。出て来たのは紛れも無いそれだ。しかし、食ったら何か長いものが歯に付いて来る。こっちで細ウドンによく出て来る、野生ネギの一種というか根っこに小さな玉の付いているネギである。
しかも、その下に玉ねぎ。半生ま、だぜ。おい、味がないよ。
客に、味付けして食え、てえの?そりゃないぜ、タイのウドンや料理とは違うんだ。日本では味付けはコックがすべてして出すもの。
客が味付けする、なんてのは聞いたことがない。なんのための食堂、なんのためのコックなんだ?客が味付けするなら、コックは要らない。
ったっく、味の無いカツ丼、しかも本家にない細ネギの入ったカツ丼かよ。うまくない。140バーツ。高いゾ、くそ。バンコクではもっと高いか。支店だそうである。ああ、そうですか。
で、も一回来たときにジャパニーズ・カレーを頼んだ。
出て来たのは、くたくたに煮崩れた1週間もそれ以上も経ったような、古いカレーである。ニンジンもジャガイモも煮崩れ、ぼそぼそになっている。
おいおい、これは冷凍保存を解かして出した代物、だから冷凍で野菜の細胞が壊れ、ぼそぼそ状態を呈する、これが解凍の特徴。自分も日本で経験しているから、分かる。
これなら、レトルトを日本から取り寄せて、というか持って来てもらって、そのまま温めて出した方が余程気の利いたジャパニーズ・カレーになる。
食って驚いた。甘い、甘すぎる。食えたもんじゃない。120バーツ。高い。
タイの全部の料理に共通するのは、この甘さである。
何か、砂糖を始めて原始人がありついた貴重品の調味料のように扱う。どんどん使う。出しと間違えてるんじゃないか。出しを取る習慣は、あの偉大なる中華文明の中華料理の伝統からしても、当地では消えてしまった。
根気よく煮る、という文化というか料理方法が採られない。野菜炒めにしてもニンジンは生のまま煮えないで出て来る。がりがりガリッ!おれは、馬かヤギじゃねえぞ。こっちのひとは平気で生を食う。
なにしろ、細ウドンやビーフンでも生のドクダミや細インゲンやモヤシが根っこの付いたまま、別皿で出てきて、それを手で生のままばりばり食ったり、麺皿にぶち込んで食べるのである。
日本では、o157だのなんだので、生のモヤシの類は警戒されているが、こっちはそんなの構っちゃいない。鳥インフルエンザが流行っている地域なのにも関わらず、おお、おそろしい。ご遠慮申し上げる。
で、ジャパニーズ・カレーは甘すぎて、辛口批評を言ってやった、こんなのニセモノだ、ジャパニーズ・カレーじゃない、と。
これを他の日本人老人に喫茶店で話していたら、ぜーんぶ喫茶店の女が聞いていて、その日本食居酒屋に密告したらしいのである。
次に行ったら入店拒否に会った。その次も、そうであった。はは・はは、行ったな、告げ口が、と。武士は食わねど高楊枝。って、かぁ。
とにかく偽物だらけの日本食、である。
日本人が作ってもいまいちの日本食しか出てこない。
冷凍の細切りのシャケを、小麦粉でまぶしてフライパンで焼いて(つまり細すぎて小麦粉を付けないと焼くとばらばらに分解して商品につまり食い物の態をなさないのである)、出すのである。
これに、インスタントの味噌汁をだして、福神漬けを小皿につければ、はい、出来上がり「シャケ定食」、120バーツ。チェンマイ。
(タイ人がチャーハンや細ウドンを35バーツで食べていることを思えば、この日本食の値段は、ど高い、3倍や4倍する値段なのである。120バーツはいい方で、バンコクなら200バーツは平気で取る)
(おれなら、このぐらいは出来そうだ)という思いがすぐアタマをかすめる。それにしても、はら減ったな。
7、
じつはタイカレーの作り方を、すっかり見てしまったのである。
なんということはない、ホワイトスープ(ホワイト・ソースの薄めたやつ)に、唐辛子の赤や緑、そしてスモール・コーン、ニンジン、香草、バジルなんかを中華なべで炒めて、そのスープにぶち込んだだけなのである。
これが料理といえるか?辛いだけ。コクも何もあったものじゃない。しかも、相も変わらず、ニンジン、コーンは全然火が通ってない。生。これをガリガリかじって食えというのだから、おれは馬じゃない、と叫びたくなるのも無理はなかろう。
ジャパニーズ・カレーと称して、出してくる、グリーン・カレーもどきの偽日本カレーは上の料理方法の延長線上にあるのである。
タイ民族は、煮えるというまで(火が通る)やる根気のよさはない。ニンジンを先に炒めるとか手順を考える、という知恵もない。第一、思いやりがないのである。短気なんである。
どうしてこの人はニンジンを残すのだろうか、とか、どうして残したんだろうか、という相手の身になって考えるという習性もない。せいぜい、さんざん悪口をつくだけ。そういう場面をわたしは何度も見てきた。
ついでに言うと、屋台食堂の舞台裏を見てしまうと、食えなくなる。暇な時、テーブルの上に、豚の皮をばーっと広げて、串で刺して穴を開けているのを見た時には、唖然ぼう然。これは客が食べやすくするための作業。
このまま皮を切って出したのでは、生ゴムみたいで食えないのである。この涙ぐましい努力。しかし、客は細ウドンの具に入ってきた「肉」もどきの正体をおそらく知らない。皮なのである。ああ。
食器も、まとめてたらいで洗ってすすぐのだから、洗剤の残るのは必然。だから、白い「粉」をふくスプーンだのが据えられている。知らないのは客ばかり。
タイ民族のいいところが無いかというとある。子供に仕事をばんばん手伝わせる。これは、子供にとっていい経験。親の苦労も分かるし、自分の経験にもなる。親の背中じゃなしに、労働そのものの実見。
親類親子の紐帯の強さ、共同体の団結が強いからこれはいまの資本主義社会から見ると、良し悪しだが、そうなのである。
もうひとつ、アバウトなバス運営だって、客が降ろしてくれといえば、原っぱの途中でさえ止めて降ろす。日本ではこうはいかない。杓子定規にバスストップで降りてください、と膨れるだろう。
*えせジャパニーズ・カレー
それは日ごろの鬱憤から始まった。ゲストハウスに集まった日本人先輩旅行者が愚痴をこぼさないのを私は感心してみていた。
そうだろう、40年旅行者もいれば20年ぶりにかつての同輩バックパッカーが再会した、というのまであったし、20年も日本に帰っていない、という少し年配の経営者のひともいた。在タイ9年、8年というのはザラのようである。
彼らは、この地の文化を受け入れているのである。そうでなければ、何回も毎年も旅行に訪れるはずがないし、この地に住み続けるわけはないからだ。いかなる理由があるにしろ。
わたしは、自分の受けたカルチャー・ショックを、スエーデンだかの画家・ムンクの「叫び」に譬えた。わたしには、あの細密な繰り返し紋様がどうにも神経症的な、何か気障りを惹起させた。
音楽もそうだ。ラオの民族音楽に合わせた女性の手のポーズからしたくねくね踊りの際限ない繰り返しは、気を滅入らせる。おいおい何時まで続くんだ、いい加減・・・。あのフェロモンの放出はき***としか思えない。
しかし、民族の祭りがタイでもあって(ラオと基本的には同じ民族。元々雲南省から南下した民族で、中国ではたしか泰族と書いて一括している)、その帰りのピックアップ・トラックの上で男も同じように浮かれて踊っているのを目撃した。
女も男も、のべつまくなし、の音楽と踊りは同じなのである。歌垣の本家らしい、男女の掛け合い歌から発展したものだろうか。でも、日本のゆったりとした「間のある」リズムと踊りとは違うのである。
わたしは、彼らがあたかもねぷたのどんこどんこの拍子のように、それより短気にどんどこどんどこどんの現地人リズムを刻むのを何度も耳にした。それは、おれの安眠妨害に深夜何度も使われた。自分がタイ人であるのをわざわざ晒して見せているのである。
スコータイには大きな寺があって、町のなんの行事でもそこで行なわれるらしく、ある日中の敷地を通ったら、偶然大衆の「民族踊りの行進」を遭遇した。
地を這うように、どろどろと「間がなく」「際限なく」いつまで続くぬかる溝の怒涛の行進は、土煙をあげて大衆の津波となって押し寄せて来た、かのように私には見えた。
わたしは、なんだこれは、の思いでおそろしくなって、寺からさっさと逃げ出した。これはカルチャー・ショックどころの騒ぎではない。合わないのである、体質的に。この経験が、どうともならない民族の軋轢と反目を決定的にした。
1、
わたしは、長年旅行者のヒゲの先輩に日ごろの違和感を訴えた。
私には、タイ人の店舗の掃除の仕方が分からない。なぜ、道路に掃き出して済まそうとするのか。なぜ塵取りで掬わないのか。
掃き出したゴミは、風で舞って通行人の顔やらからだに掛かるわけでしょう、そしてゴミはまた道路に散るだけでしょう、その神経が分からない、と。自分とこがよければそれでいいんですかね、ほかの影響は考えないんですかね、と。
そのヒゲさんは、決してひとの悪口を言うのを潔しとしない良識のひとらしかったが、この私の愚痴に「そうなんだろうね」と控えめにうなずいた。やはり、疑問は疑問として了承されたのである。わたしばかりじゃなかった。
2、
私たちは、今度の別れに際し夕食を共にした。ビール1本と肴とそれぞれ料理を頼んだ。ところが、ビールの次に持ってきたのは最後に食べる筈の料理だった。私たちは唖然とした。
これでは、ビールが入らなくなってしまう。あとで頼めばよかったのか。
何も考えてないんだね。気遣いがない。日本なら、ふつうビールを飲んでる間中はおそらく肴を先に持って来るだろうし、料理は頃合いを見て一番最後だよな、夕食の腹ごしらえの締めくくり。
自分の仕事を先に済ませられるものは先にしてしまいたいのさ。自分の都合が優先する。タイ人はこうなんだね。
3、
ジャパニーズ・カレーの話。
チェンマイでジャパニーズ・カレーを注文した。
たしかに、皿に飯が平面に盛ってあってその端に見慣れた色のカレーが掛かっている。
しかし、食べようとよく見ると、あれ、カレーに一面コショーが掛かっている。ちぇっ、何も出す時にコショーをわざわざ念入りに掛けなくたっていいものを。
で食った。水みたいなカレーである。どろっとした日本のカレーではない。カレールーをケチって、一皿分のカレールーを使わないで、その半分いや3分の一か4分の一しか使ってないのである。しかも、うすーくして。
いやはや。なんたるケチ、ドケチ。これは雲南省仕込みか。
雲南省ではチャーハンを頼んだら、もうひき肉を親指大ひとつまみ、とピーマンの千切り1cm分しか使わない。ものすごいケチである。
この油まみれの焼き飯をどうやったらうまく食えるというのか。油を食ってるようなもんである。呆れて物も言えなかった。それが1軒だけじゃなかったから、共通しているのである。8元。写真入りのメニュー表示の大衆食堂では、これが当たり前で、現地人のようにぺらぺらと中国語で料理名を注文したら、まともなのが出て来るのは間違いないのだろうが、今度は値段がおそろしくなる。
それはともかくカレーの話。チェンマイのカレーは、こうしてすぐ幅2.5cmのカレーぷらすご飯として掬われてあっという間に腹に収まった。残ったのは、皿に大部分占領しているご飯である。皿の半分のご飯が残ったまま、はいさよなら。おかずがないと食えない。
98バーツ。高い。ったく、これがジャパニーズ・カレーかよ。けち。
4、
某タイの北のはし。
ジャパニーズ・カレーをこの最果てで発見するとは思っていなかった。
チキン・カレーを注文した。出て来たのは、紛れもなくジャパニーズ・カレーのどろりとしたルーのカレー。
へへ、とスプーンを入れて驚いた。飯がない!おいおい、どこだ?皿はインドカレーに使うような、深皿の小さめの半径のやつである。
米はたしかにあった。スプーンの先っちょにわずかにくっ付いて来たので分かったのである。ははぁ、カレーと一緒にちょびっと煮込んだな。その量たるや、小さじ1杯ほどである。
くそ、である。何か勘違いしてないか?
その飯の粒は、この地方特産のもち米系の赤米である。仕方ない、食った。ごろごろと具はぶつ切りの大きなジャガイモ大のニンジン、そして大切りのナス。それに細切れのチキン。(ジャガイモはあったか無かったか忘れた)
玉ねぎが賽の目に切って散らしてあった。それもろくに煮えてないやつ。ごろりと溶岩のように占領するニンジンとて、お世辞にも煮えているとは言えなかった。だって、スプーンで崩せないんだぜ。
飯は雀の涙、ニンジンだらけ。仕方なくナスと玉ねぎだけをすくって食べた。
チキンをひと口食べて、くさい!ツーンと生臭いにおいがする。く、く、くそ!これはきっと、ニンジンの煮えたと思ったころに、生肉をそのまま湯にぶち込んだに違いない。
別にフライパンで炒めるとか、灰汁をすくうとかしてない。そりゃそうだ、玉ねぎからして炒めた形跡がない。肉は手を付けないことにした。くさくて、とても食えたもんじゃない。
悲惨なジャパニーズ・カレーである。食った気にならない。70バーツ。田舎だけあってバンコクよりは若干安い。
5、
また、ジャパニーズ・カレー。
仕方ない、あったのである。同地で。飢えているわしは懲りずにまた注文した。
出て来たのは、例のインドカレー用の小さめの深皿ではなく、ラーメンでもだそうかというどんぶり。おいおい、見てびっくり。色が淡いグリーン。
「これはグリーン・カレーか?ジャパニーズ・カレーなのか?」
「ジャパニーズ・カレーです」
すくって驚いた。スープである。飯がない。
「ジャパニーズ・カレーというのは飯が含まれている。これには飯がない」
「いえ、これが当店のジャパニーズ・カレーです」
ったく、そうかよ、と食った。
またナスと玉ねぎが泳いでいた。ニンジンは、、、忘れた。あったかなかったか、あったとしても煮えていたか煮えていなかったか。
別に「ライス」を注文して、スープのような、薄い、しかも黄緑色のカレーなるものをじょぼじょぼ飯に掛けてすくって食べた。
ったく、おしまい。食った気にならん。飯もぼそぼその「長米」。ナスが切れたころに終了とした。ちぇっく・びん・とわい(お勘定)。85バーツ、くそっ。
勘定のころ、tシャツびちびちの腹肉つきの中年のおばんが、いやに横柄に店内に居る。ははぁ、これが店主なのか。
しゃしゃり出て言った。「これが、わが店のタイ風ジャパニーズ・カレーです」。
(はいはい、そうですか。そうなら、先に「タイ風」と書いとけヨ)
どこまでも、タイ人というのは「厚かましい」のである。自己正当化する。引かない、謙虚に学ぶということをしない。日本でもそういう店主やコックはいるが、それにしてもである。
日本人に「これは日本カレーじゃない」と言われて、いや日本カレーだと言い張る、その神経が分からない。
似非カレーは横溢している。似非日本食も。
6、
ラオのsけっと。日本人食堂が開店した。行った。
カツ丼を頼んだ。出て来たのは紛れも無いそれだ。しかし、食ったら何か長いものが歯に付いて来る。こっちで細ウドンによく出て来る、野生ネギの一種というか根っこに小さな玉の付いているネギである。
しかも、その下に玉ねぎ。半生ま、だぜ。おい、味がないよ。
客に、味付けして食え、てえの?そりゃないぜ、タイのウドンや料理とは違うんだ。日本では味付けはコックがすべてして出すもの。
客が味付けする、なんてのは聞いたことがない。なんのための食堂、なんのためのコックなんだ?客が味付けするなら、コックは要らない。
ったっく、味の無いカツ丼、しかも本家にない細ネギの入ったカツ丼かよ。うまくない。140バーツ。高いゾ、くそ。バンコクではもっと高いか。支店だそうである。ああ、そうですか。
で、も一回来たときにジャパニーズ・カレーを頼んだ。
出て来たのは、くたくたに煮崩れた1週間もそれ以上も経ったような、古いカレーである。ニンジンもジャガイモも煮崩れ、ぼそぼそになっている。
おいおい、これは冷凍保存を解かして出した代物、だから冷凍で野菜の細胞が壊れ、ぼそぼそ状態を呈する、これが解凍の特徴。自分も日本で経験しているから、分かる。
これなら、レトルトを日本から取り寄せて、というか持って来てもらって、そのまま温めて出した方が余程気の利いたジャパニーズ・カレーになる。
食って驚いた。甘い、甘すぎる。食えたもんじゃない。120バーツ。高い。
タイの全部の料理に共通するのは、この甘さである。
何か、砂糖を始めて原始人がありついた貴重品の調味料のように扱う。どんどん使う。出しと間違えてるんじゃないか。出しを取る習慣は、あの偉大なる中華文明の中華料理の伝統からしても、当地では消えてしまった。
根気よく煮る、という文化というか料理方法が採られない。野菜炒めにしてもニンジンは生のまま煮えないで出て来る。がりがりガリッ!おれは、馬かヤギじゃねえぞ。こっちのひとは平気で生を食う。
なにしろ、細ウドンやビーフンでも生のドクダミや細インゲンやモヤシが根っこの付いたまま、別皿で出てきて、それを手で生のままばりばり食ったり、麺皿にぶち込んで食べるのである。
日本では、o157だのなんだので、生のモヤシの類は警戒されているが、こっちはそんなの構っちゃいない。鳥インフルエンザが流行っている地域なのにも関わらず、おお、おそろしい。ご遠慮申し上げる。
で、ジャパニーズ・カレーは甘すぎて、辛口批評を言ってやった、こんなのニセモノだ、ジャパニーズ・カレーじゃない、と。
これを他の日本人老人に喫茶店で話していたら、ぜーんぶ喫茶店の女が聞いていて、その日本食居酒屋に密告したらしいのである。
次に行ったら入店拒否に会った。その次も、そうであった。はは・はは、行ったな、告げ口が、と。武士は食わねど高楊枝。って、かぁ。
とにかく偽物だらけの日本食、である。
日本人が作ってもいまいちの日本食しか出てこない。
冷凍の細切りのシャケを、小麦粉でまぶしてフライパンで焼いて(つまり細すぎて小麦粉を付けないと焼くとばらばらに分解して商品につまり食い物の態をなさないのである)、出すのである。
これに、インスタントの味噌汁をだして、福神漬けを小皿につければ、はい、出来上がり「シャケ定食」、120バーツ。チェンマイ。
(タイ人がチャーハンや細ウドンを35バーツで食べていることを思えば、この日本食の値段は、ど高い、3倍や4倍する値段なのである。120バーツはいい方で、バンコクなら200バーツは平気で取る)
(おれなら、このぐらいは出来そうだ)という思いがすぐアタマをかすめる。それにしても、はら減ったな。
7、
じつはタイカレーの作り方を、すっかり見てしまったのである。
なんということはない、ホワイトスープ(ホワイト・ソースの薄めたやつ)に、唐辛子の赤や緑、そしてスモール・コーン、ニンジン、香草、バジルなんかを中華なべで炒めて、そのスープにぶち込んだだけなのである。
これが料理といえるか?辛いだけ。コクも何もあったものじゃない。しかも、相も変わらず、ニンジン、コーンは全然火が通ってない。生。これをガリガリかじって食えというのだから、おれは馬じゃない、と叫びたくなるのも無理はなかろう。
ジャパニーズ・カレーと称して、出してくる、グリーン・カレーもどきの偽日本カレーは上の料理方法の延長線上にあるのである。
タイ民族は、煮えるというまで(火が通る)やる根気のよさはない。ニンジンを先に炒めるとか手順を考える、という知恵もない。第一、思いやりがないのである。短気なんである。
どうしてこの人はニンジンを残すのだろうか、とか、どうして残したんだろうか、という相手の身になって考えるという習性もない。せいぜい、さんざん悪口をつくだけ。そういう場面をわたしは何度も見てきた。
ついでに言うと、屋台食堂の舞台裏を見てしまうと、食えなくなる。暇な時、テーブルの上に、豚の皮をばーっと広げて、串で刺して穴を開けているのを見た時には、唖然ぼう然。これは客が食べやすくするための作業。
このまま皮を切って出したのでは、生ゴムみたいで食えないのである。この涙ぐましい努力。しかし、客は細ウドンの具に入ってきた「肉」もどきの正体をおそらく知らない。皮なのである。ああ。
食器も、まとめてたらいで洗ってすすぐのだから、洗剤の残るのは必然。だから、白い「粉」をふくスプーンだのが据えられている。知らないのは客ばかり。
タイ民族のいいところが無いかというとある。子供に仕事をばんばん手伝わせる。これは、子供にとっていい経験。親の苦労も分かるし、自分の経験にもなる。親の背中じゃなしに、労働そのものの実見。
親類親子の紐帯の強さ、共同体の団結が強いからこれはいまの資本主義社会から見ると、良し悪しだが、そうなのである。
もうひとつ、アバウトなバス運営だって、客が降ろしてくれといえば、原っぱの途中でさえ止めて降ろす。日本ではこうはいかない。杓子定規にバスストップで降りてください、と膨れるだろう。
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