びーかん日記
尾行と監視され日記、略して「びーかん日記」である。これは、公然たるコーアンとその手先のイジメと弾圧の記録だ。花、鳥、蝶も少々。
| HOME |
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
110225テレサの薔薇キリスト教の秘密
■110225テレサの薔薇キリスト教の秘密
*「薔薇のイコノロジー」若桑みどり、青土社、2003年6月発行、3600円。
(初出は、1983年か1984年の「ユリイカ」)。
ピンクの薔薇。
*
わたしは、テレサ・テン麗君の、遺した歌の目録やその歌詞、彼女が付けていた装飾品(イヤリング・ブローチ)衣装などから、あるいは直接的に彼女の「祈る画像」から、
祈るテレサ。
1984年十字架イヤリング。
1985薔薇窓のブローチ。
1983ラスベガス百合のブローチ。
天使の翼のイヤリング。
テレサが極めて敬虔なキリスト教徒であり、
その舞台でのアートは身に着けるものからも、ずいぶんなキリスト教的な「意味」を「表示」している、とだんだんと確信するようになった。
それは、いまでは動かしがたい決定事項である。
彼女が、一流のメッセンジャーであり、一流のアーチストである、という私の初期の直感は、日々強まっている。
ファンの中には、彼女の宗教を仏教などと平気で書いている人もいるが、彼女を知れば知るほど、その乖離と違和感は強くなるばかりだ。
上記の本は、わたしが素人なりに触れてきた「薔薇」や「百合」あるいは「蓮」について、全部網羅したキリスト教的な「答え」を示してくれている。
1981百合のかんざし2。
百合のイヤリング。
1988白百合のドレス。
薔薇のチャイナドレス。
1984薔薇のエメラルド。
1991薔薇の透かし模様。
今となっては、なんだぁ、ということになる。仕方ない。
ケルトの専門家の鶴岡女史については、ちょっと誉めすぎたようである。
(若桑氏の方が、鶴岡氏より古い図像解釈学の大先達だったのである)。
若桑さんのことについては、以前「レット・イット・ビー」の本の抜粋として著者の若桑さんを紹介したことがあるが(虹を見るとわくわくする、わくわくしなかったら死んでしまいたい、というワーズ・ワースの詩のあれ、である)。
この「薔薇のイコノロジー」は知らなかった。この本は、1985年に芸術選奨文部大臣賞を受けているのである。
なんとなんと、あの薔薇のブローチを付けてインタビューに臨んだテレサは、その時1985年だったのだ。なんという暗合。
1985薔薇窓のブローチ。
薔薇窓ノートルダム。
彼女は、この本を知っていたのだろうか?いや、この本より、遥かに早い時期から、彼女は百合や薔薇をシンボライズした衣装や装飾品を身に付けていた。
これは、何度も言うように、彼女が敬虔なキリスト教徒でもあったという証拠なのである。(テレサの当初の香水は、イヴサンローラン「パリ」(薔薇が主成分)1984年)
彼女の相談相手ともなっていたという師匠の通称古月氏もキリスト教徒であった。
わたしは、ここで、上記の本から百合と薔薇の意味を簡単に提示するとともに、テレサ・テンの「沈黙の提示」である「シンボル画像」を集められただけ、示すことにした。
1、
花のシンボルの最高位には、3つの花が挙げられている。
それは、薔薇、百合、蓮(ロータス)である。
そして、聖母マリアの象徴は前2者である、とされている。
薔薇とロータス。パリ・クルーゼルのテレサ。
左の花束が薔薇、囲いの中心にあるのがデザイン化された蓮。この起源は、はるかに古い(ケルトの記事参照)。
ロータスのイヤリング。
たぶん。蓮は8角8花弁。百合は6花弁。薔薇は5花弁。
エジプトの多産の女神イシスの象徴はロータスであり、それは水の豊かなエジプトの「生命の源」を意味した。インドにおいても同様だという。
蓮はインド原産だと思っていたら、上記の書にはインドかエジプトとある。
この蓮が、上から見て車輪と日輪(太陽)を表わしているが、それはメソポタミアに渡って、意匠化された段階で、その乾燥地域にふさわしく、蓮からアネモネやチューリップに似た花「薔薇」に置き換わった、という。
薔薇は、太古から女神の象徴だった。その証拠に、ギリシャ神話などからの引用が散りばめられている。
それは、女陰を表わし、かつ多産と美の象徴(つまりは豊穣神)、宇宙コスモスのデザインだという。(限りなく完璧な円環に近い)。
数多くの薔薇への賛辞の詩は、感動的なものだ。
「薔薇が花の中の花であるごとく、この家(教会)は家の中の家である」(ヨーク・カテドラルの参事会堂の銘)。
「彼のひとは野辺の百合よりも白く、棘のうちなる薔薇よりも赤し」(ボイアルド、百合と薔薇の対挙)。
百合はどうなのか。
どうもブルボン王家より持て囃される起源は古いらしい。
「美しい薔薇よ、お黙り。
お前の栄光は草花の間で知れ渡るように。
そして、王たる百合は輝ける王笏で支配するように。
汝、薔薇は赤い栄光を花輪として殉教者に与え、
百合は長き上衣を着た多くの処女たちを飾りなさい」
(「百合と薔薇の論争詩」セドゥリコス・スコトゥス)。
「女は美しきこと花の如し。
その甘さ、蜂蜜の如く、
そのつつましさ菫の如く、
その慈愛の深さ、薔薇の如く、
優しさ、百合の如し」(聖ヴィクトル説教集)。
キリスト教的イコンの中国服。
葡萄イヤリングと薔薇チャイナ服。
葡萄はキリストの聖体=血を意味する。チャイナ・ドレスの浮き模様は、薔薇である。
中東的イコンの中国服。
左右の同型の花模様は、横から見たロータスか。
透かしの、薔薇とチューリップ全体。
チューリップもまたキリスト教のシンボルの一つという。
また、百合には別の指摘もある。つまり、その蕾が男根に似ているというのである(P・ホール)。だから、男性シンボル男根の象徴として、百合が選ばれ、女性の象徴である薔薇(女陰)と「対」になる。
<実際には花とは植物の女性的な生殖器なのである。…レオナルドにとって、大地と花と母とは一つの生命の根源の神秘に重ね合わされる。レオナルドの天使が「しべ」のある百合を持ってきたことは、…生命の誕生についての洞察を示すもの>。
黄色の百合。
薔薇のいわくには切りがないが、その讃美の古さを示して余りある。
<日本の薔薇という言葉さえも中央アジアのホータン人のサカ語の薔薇valaが伝来したものだろう>(村田孝氏からの引用)。
<百合は、近代ペルシャ語で、ゴーレ・マリアム(マリアの花、マリアの薔薇>。
*蓮については、以前、日本の寺院の屋根瓦の紋を示しておいた。
薔薇はヨーロッパの結婚式などで新郎新婦に撒かれるが、それは愛の成就だというのである。
(「薔薇の園」の)「薔薇とは愛のことだ」(ルーイス)。
<薔薇がヴィーナスの贈り物、すなわち愛欲の成就だと人々が今なお考えるのも当然であろう(M・ジョージ)>。
2、
しかし、薔薇は3つの意味の変遷を遂げている。
もともと薔薇はヴィーナスの象徴だった。しかし、それは聖母マリアの象徴ともなった。
それは、愛欲からの脱皮である。
それは、受胎告知に見られるように、原罪を冒さなかった聖母マリアの象徴として、純潔を意味した。
もともと、ギリシャ神話で女神が「棘のある白い薔薇」を踏みつけたために、その血で薔薇は赤く染まった。そして、聖母マリアには「棘のない薔薇」が捧げられる。
また、薔薇はキリストの五つの傷と血が、「五弁の赤い花」を表わす、として復活した。
もともと教会の薔薇窓は、薔薇十字軍がカイロのモスクから失敬してきたもの、という。
こうして、薔薇と百合は共存した。
百合については薔薇ほどの記述が多くはない。しかし、純潔を示す意味では百合の「白」にまさるものはないのである。
(ちなみに、わたし、好きでない。姥百合を見てみろよ、あのぞっとする剛直さ。でかいツラをした「百合」)
一つだけ、取り上げておこう。
<王家の紋となった百合と薔薇は、いずれも源流を求めればキリスト教の神性と結びつく。…それゆえ、イギリス王朝の伝統的な紋章は、やがてこの聖なる啓示と地上の権力を結合させた構造を如実に示すようになる。…中央に薔薇の樹が十字架のように置かれている。王座と楯にはもちろん百合があり、上部の左右は天使である。
ここには天と地の構成がはっきりと見られるが、これを中心で統一しているのは樹木としての薔薇である>。
樹木なのは、花は散ってしまうからだ。樹木は永遠(の生命)を表わす。また、薔薇は「永遠の幸福」をも表わす。
も一つ。
紋章入門の著者ノイベッカー。
「言葉の真の意味において、紋章的な花は二つだけ、百合と薔薇のみである」。
<百合が聖母マリアの純潔に捧げられていることは周知だが、フランスの伝説によれば、王の元に天使が黄金の百合を持って来たので、百合がフランス国のエンブレムになったそうである>。
<青地に金の百合の紋は、旧王制中もまったく変わることがない。ルネサンスのフィレンツェの紋章も、同様に様式化された百合だが、これが市の大本山である「花の聖母マリア」のエンブレムであることは明らかである>。
3、
薔薇の3つ目の変遷は、擬似的「地上の楽園」である「庭の花」に転じたことである。
地上の楽園は、つまりは「天国の再現」なのである。
だから、庭は、水や壷や四角く囲われたデザインや、蓮の原花弁を表わす8星の線を引いている。メディチ家の庭のデザインは、そうなそうである。
多くの絵画には、薔薇に囲まれた聖母的女性の姿が描かれる。
また、天国と地獄、あるいは救われた者と救われない者(呪われた者=フランツ・ファノンを思い出せ!)と、上下左右に分割され、それはそのまま十字架を表わし、その中心となっているキリストの場所には、薔薇が暗示的に据えられるのである。
4、
薔薇、百合、蓮については、もういいだろう。
テレサが、薔薇と百合を多用していたことを、思い出してほしい。
わたしは、この書を読んで、ある箇所に突き当たった。其処にはこう書かれてあった。
「彼女の体は、輝きわたっていた。
なぜなら、彼女は天上から来たからである。彼女の衣は青かった。
なぜなら、彼女は海へと還るからである」(「黄金の驢馬」アプレイウス)。
テレサ・テンが1985年nhkコンサートの中盤で、着て歌ったのが、メタリックな輝きをもつ「空色(うす青色)のミニ」だった、のである。

空色のメタリックなテレサ。
わたしは、思わず泣いた。
テレサの空色の衣装は、青かったし、輝いてもいたのだから。この詩のとおりに!
なぜなら、この10年後の1995年に彼女は死んだのだから。
この詩には「彼女は海へと還る」で、終わっている。それは、生命の始原に還ることを意味する。
そう、テレサは、生命の源へかえったのである。
<人間の生命が非業の死によって突如として中断された場合、生命は植物、花、実といった別の形をとって生き延びようとする>(エリアーデ)。
輪廻の本来の種つまり核心となったのは、おそらくこのような考えだったのだろう。
テレサが、死の直前に、台湾の軍の慰問で着ていたのは、薄青のチャイナ服だった。そして、彼女に贈られたのは、青い薔薇の花束だった。
青い薔薇のテレサ(*上記述の時期とは違う若い時)。
青は、w・ライヒによると、オルゴン・エネルギーの色なのである。
●エヴァ(イブ)とテレサの「しな姿」。
テレサのエヴァ的しな姿。
左手にある羊歯の模様も、西洋のイコンでは「永遠の生命」を意味するとか。ただ、このように載っているのではない。
エヴァのしな姿。
*エヴァは右手で頬を覆うようにしてアダムを誘惑し(*「しな」を作るのしな)、左手で禁断の林檎をもごうとしている。樹木の葉は林檎の葉である。フランスのブルターニュ地方の大聖堂の浮彫り。既報記事参照。
テレサのしな姿7。
*こんな若い時から、エヴァのしなを真似して、洒落のめしているのは、すごいことである。知っているのだ、この形を。キリスト教徒だからこそできる、ポーズである。
百合とエヴァのしなポーズ。
●薔薇。
薔薇の透かし1985nhkコンサート。
薔薇のイヤリング。
彼女の誕生石のガーネットたぶんの上に、小さな薔薇が付いている。
黒薔薇竜のテレサ。
*裾から立ち昇る黒薔薇の竜は、彼女の干支が辰だからである(早生まれ)し、竜は中国的シンボルだ。ただ、黒薔薇の意味がどうしても分からない。花言葉は「あなたを恨みます」。心やさしい彼女が、果たしてそうしたことをするだろうか。
黒薔薇の本物の画像を見たが、日本の高山植物の「翁草のかすかに赤紫を帯びた黒」に似ている。右腕の赤い透かしの模様は、赤い薔薇である。
黒薔薇のテレサ。
真紅に薔薇の刺繍。
*あまり自信はないが、この真紅のトランペット・フラウア(歓喜の熱帯花)の刺繍は薔薇のようである。
白皺右腰に薔薇1987。
*この年は、テレサがパリ観光をしていたと推定される時期。多くの教会を見て歩いたろうし、またルーブル美術館にも行ったかもしれない。
とすると、この皺くちゃの意味もあるのである。皺は波を表わし「生命の源」を象徴する、という。
ボッチチェルリの「春」「ヴィーナスの誕生」で、右から祝福する薄ぎぬの女性は、薔薇の花びらを撒いている妊婦=つまり豊穣神の象徴で、二つとも透けるような衣を着ている。
テレサののも、透けていると見えなくもない。光線が当たって。
その衣の花の模様は、もちろん薔薇である。この美しい芳香の漂うような魅力的女性は、テーマのヴィーナスの「お株を奪って」いる。主人公はこっちなのではないか、というのである。
なぜなら、こちらが妊娠しているならば、ヴィーナスに出産の幸福の出番はないからである。そして、女神を左手あるいは右手の風神がさらう(フランスへの春を迎える西風)のは、児孫の繁栄・生命の繁栄を祝福する暗喩なのだから、だ。
若桑みどりさんが、画像で真っ先に掲げた「薔薇の聖母」パルミジャニーノ、の聖母も、皺くちゃの衣装であり、右の乳房さえ見えている。皺に意味はある!
テレサは、この白の皺くちゃ衣装と「対になった」黒の皺くちゃ衣装も作っていた。
黒の皺皺ドレス1985。腹どころの皺を見よ。
皺しわドレスの十字架フィナーレ。
*百合、十字架イヤリングは既報してあるから省略。
*「薔薇のイコノロジー」若桑みどり、青土社、2003年6月発行、3600円。
(初出は、1983年か1984年の「ユリイカ」)。

*
わたしは、テレサ・テン麗君の、遺した歌の目録やその歌詞、彼女が付けていた装飾品(イヤリング・ブローチ)衣装などから、あるいは直接的に彼女の「祈る画像」から、





テレサが極めて敬虔なキリスト教徒であり、
その舞台でのアートは身に着けるものからも、ずいぶんなキリスト教的な「意味」を「表示」している、とだんだんと確信するようになった。
それは、いまでは動かしがたい決定事項である。
彼女が、一流のメッセンジャーであり、一流のアーチストである、という私の初期の直感は、日々強まっている。
ファンの中には、彼女の宗教を仏教などと平気で書いている人もいるが、彼女を知れば知るほど、その乖離と違和感は強くなるばかりだ。
上記の本は、わたしが素人なりに触れてきた「薔薇」や「百合」あるいは「蓮」について、全部網羅したキリスト教的な「答え」を示してくれている。






今となっては、なんだぁ、ということになる。仕方ない。
ケルトの専門家の鶴岡女史については、ちょっと誉めすぎたようである。
(若桑氏の方が、鶴岡氏より古い図像解釈学の大先達だったのである)。
若桑さんのことについては、以前「レット・イット・ビー」の本の抜粋として著者の若桑さんを紹介したことがあるが(虹を見るとわくわくする、わくわくしなかったら死んでしまいたい、というワーズ・ワースの詩のあれ、である)。
この「薔薇のイコノロジー」は知らなかった。この本は、1985年に芸術選奨文部大臣賞を受けているのである。
なんとなんと、あの薔薇のブローチを付けてインタビューに臨んだテレサは、その時1985年だったのだ。なんという暗合。


彼女は、この本を知っていたのだろうか?いや、この本より、遥かに早い時期から、彼女は百合や薔薇をシンボライズした衣装や装飾品を身に付けていた。
これは、何度も言うように、彼女が敬虔なキリスト教徒でもあったという証拠なのである。(テレサの当初の香水は、イヴサンローラン「パリ」(薔薇が主成分)1984年)
彼女の相談相手ともなっていたという師匠の通称古月氏もキリスト教徒であった。
わたしは、ここで、上記の本から百合と薔薇の意味を簡単に提示するとともに、テレサ・テンの「沈黙の提示」である「シンボル画像」を集められただけ、示すことにした。
1、
花のシンボルの最高位には、3つの花が挙げられている。
それは、薔薇、百合、蓮(ロータス)である。
そして、聖母マリアの象徴は前2者である、とされている。

左の花束が薔薇、囲いの中心にあるのがデザイン化された蓮。この起源は、はるかに古い(ケルトの記事参照)。

たぶん。蓮は8角8花弁。百合は6花弁。薔薇は5花弁。
エジプトの多産の女神イシスの象徴はロータスであり、それは水の豊かなエジプトの「生命の源」を意味した。インドにおいても同様だという。
蓮はインド原産だと思っていたら、上記の書にはインドかエジプトとある。
この蓮が、上から見て車輪と日輪(太陽)を表わしているが、それはメソポタミアに渡って、意匠化された段階で、その乾燥地域にふさわしく、蓮からアネモネやチューリップに似た花「薔薇」に置き換わった、という。
薔薇は、太古から女神の象徴だった。その証拠に、ギリシャ神話などからの引用が散りばめられている。
それは、女陰を表わし、かつ多産と美の象徴(つまりは豊穣神)、宇宙コスモスのデザインだという。(限りなく完璧な円環に近い)。
数多くの薔薇への賛辞の詩は、感動的なものだ。
「薔薇が花の中の花であるごとく、この家(教会)は家の中の家である」(ヨーク・カテドラルの参事会堂の銘)。
「彼のひとは野辺の百合よりも白く、棘のうちなる薔薇よりも赤し」(ボイアルド、百合と薔薇の対挙)。
百合はどうなのか。
どうもブルボン王家より持て囃される起源は古いらしい。
「美しい薔薇よ、お黙り。
お前の栄光は草花の間で知れ渡るように。
そして、王たる百合は輝ける王笏で支配するように。
汝、薔薇は赤い栄光を花輪として殉教者に与え、
百合は長き上衣を着た多くの処女たちを飾りなさい」
(「百合と薔薇の論争詩」セドゥリコス・スコトゥス)。
「女は美しきこと花の如し。
その甘さ、蜂蜜の如く、
そのつつましさ菫の如く、
その慈愛の深さ、薔薇の如く、
優しさ、百合の如し」(聖ヴィクトル説教集)。


葡萄はキリストの聖体=血を意味する。チャイナ・ドレスの浮き模様は、薔薇である。

左右の同型の花模様は、横から見たロータスか。

チューリップもまたキリスト教のシンボルの一つという。
また、百合には別の指摘もある。つまり、その蕾が男根に似ているというのである(P・ホール)。だから、男性シンボル男根の象徴として、百合が選ばれ、女性の象徴である薔薇(女陰)と「対」になる。
<実際には花とは植物の女性的な生殖器なのである。…レオナルドにとって、大地と花と母とは一つの生命の根源の神秘に重ね合わされる。レオナルドの天使が「しべ」のある百合を持ってきたことは、…生命の誕生についての洞察を示すもの>。

薔薇のいわくには切りがないが、その讃美の古さを示して余りある。
<日本の薔薇という言葉さえも中央アジアのホータン人のサカ語の薔薇valaが伝来したものだろう>(村田孝氏からの引用)。
<百合は、近代ペルシャ語で、ゴーレ・マリアム(マリアの花、マリアの薔薇>。
*蓮については、以前、日本の寺院の屋根瓦の紋を示しておいた。
薔薇はヨーロッパの結婚式などで新郎新婦に撒かれるが、それは愛の成就だというのである。
(「薔薇の園」の)「薔薇とは愛のことだ」(ルーイス)。
<薔薇がヴィーナスの贈り物、すなわち愛欲の成就だと人々が今なお考えるのも当然であろう(M・ジョージ)>。
2、
しかし、薔薇は3つの意味の変遷を遂げている。
もともと薔薇はヴィーナスの象徴だった。しかし、それは聖母マリアの象徴ともなった。
それは、愛欲からの脱皮である。
それは、受胎告知に見られるように、原罪を冒さなかった聖母マリアの象徴として、純潔を意味した。
もともと、ギリシャ神話で女神が「棘のある白い薔薇」を踏みつけたために、その血で薔薇は赤く染まった。そして、聖母マリアには「棘のない薔薇」が捧げられる。
また、薔薇はキリストの五つの傷と血が、「五弁の赤い花」を表わす、として復活した。
もともと教会の薔薇窓は、薔薇十字軍がカイロのモスクから失敬してきたもの、という。
こうして、薔薇と百合は共存した。
百合については薔薇ほどの記述が多くはない。しかし、純潔を示す意味では百合の「白」にまさるものはないのである。
(ちなみに、わたし、好きでない。姥百合を見てみろよ、あのぞっとする剛直さ。でかいツラをした「百合」)
一つだけ、取り上げておこう。
<王家の紋となった百合と薔薇は、いずれも源流を求めればキリスト教の神性と結びつく。…それゆえ、イギリス王朝の伝統的な紋章は、やがてこの聖なる啓示と地上の権力を結合させた構造を如実に示すようになる。…中央に薔薇の樹が十字架のように置かれている。王座と楯にはもちろん百合があり、上部の左右は天使である。
ここには天と地の構成がはっきりと見られるが、これを中心で統一しているのは樹木としての薔薇である>。
樹木なのは、花は散ってしまうからだ。樹木は永遠(の生命)を表わす。また、薔薇は「永遠の幸福」をも表わす。
も一つ。
紋章入門の著者ノイベッカー。
「言葉の真の意味において、紋章的な花は二つだけ、百合と薔薇のみである」。
<百合が聖母マリアの純潔に捧げられていることは周知だが、フランスの伝説によれば、王の元に天使が黄金の百合を持って来たので、百合がフランス国のエンブレムになったそうである>。
<青地に金の百合の紋は、旧王制中もまったく変わることがない。ルネサンスのフィレンツェの紋章も、同様に様式化された百合だが、これが市の大本山である「花の聖母マリア」のエンブレムであることは明らかである>。
3、
薔薇の3つ目の変遷は、擬似的「地上の楽園」である「庭の花」に転じたことである。
地上の楽園は、つまりは「天国の再現」なのである。
だから、庭は、水や壷や四角く囲われたデザインや、蓮の原花弁を表わす8星の線を引いている。メディチ家の庭のデザインは、そうなそうである。
多くの絵画には、薔薇に囲まれた聖母的女性の姿が描かれる。
また、天国と地獄、あるいは救われた者と救われない者(呪われた者=フランツ・ファノンを思い出せ!)と、上下左右に分割され、それはそのまま十字架を表わし、その中心となっているキリストの場所には、薔薇が暗示的に据えられるのである。
4、
薔薇、百合、蓮については、もういいだろう。
テレサが、薔薇と百合を多用していたことを、思い出してほしい。
わたしは、この書を読んで、ある箇所に突き当たった。其処にはこう書かれてあった。
「彼女の体は、輝きわたっていた。
なぜなら、彼女は天上から来たからである。彼女の衣は青かった。
なぜなら、彼女は海へと還るからである」(「黄金の驢馬」アプレイウス)。
テレサ・テンが1985年nhkコンサートの中盤で、着て歌ったのが、メタリックな輝きをもつ「空色(うす青色)のミニ」だった、のである。

空色のメタリックなテレサ。
わたしは、思わず泣いた。
テレサの空色の衣装は、青かったし、輝いてもいたのだから。この詩のとおりに!
なぜなら、この10年後の1995年に彼女は死んだのだから。
この詩には「彼女は海へと還る」で、終わっている。それは、生命の始原に還ることを意味する。
そう、テレサは、生命の源へかえったのである。
<人間の生命が非業の死によって突如として中断された場合、生命は植物、花、実といった別の形をとって生き延びようとする>(エリアーデ)。
輪廻の本来の種つまり核心となったのは、おそらくこのような考えだったのだろう。
テレサが、死の直前に、台湾の軍の慰問で着ていたのは、薄青のチャイナ服だった。そして、彼女に贈られたのは、青い薔薇の花束だった。

青は、w・ライヒによると、オルゴン・エネルギーの色なのである。
●エヴァ(イブ)とテレサの「しな姿」。

左手にある羊歯の模様も、西洋のイコンでは「永遠の生命」を意味するとか。ただ、このように載っているのではない。

*エヴァは右手で頬を覆うようにしてアダムを誘惑し(*「しな」を作るのしな)、左手で禁断の林檎をもごうとしている。樹木の葉は林檎の葉である。フランスのブルターニュ地方の大聖堂の浮彫り。既報記事参照。

*こんな若い時から、エヴァのしなを真似して、洒落のめしているのは、すごいことである。知っているのだ、この形を。キリスト教徒だからこそできる、ポーズである。

●薔薇。


彼女の誕生石のガーネットたぶんの上に、小さな薔薇が付いている。

*裾から立ち昇る黒薔薇の竜は、彼女の干支が辰だからである(早生まれ)し、竜は中国的シンボルだ。ただ、黒薔薇の意味がどうしても分からない。花言葉は「あなたを恨みます」。心やさしい彼女が、果たしてそうしたことをするだろうか。
黒薔薇の本物の画像を見たが、日本の高山植物の「翁草のかすかに赤紫を帯びた黒」に似ている。右腕の赤い透かしの模様は、赤い薔薇である。


*あまり自信はないが、この真紅のトランペット・フラウア(歓喜の熱帯花)の刺繍は薔薇のようである。

*この年は、テレサがパリ観光をしていたと推定される時期。多くの教会を見て歩いたろうし、またルーブル美術館にも行ったかもしれない。
とすると、この皺くちゃの意味もあるのである。皺は波を表わし「生命の源」を象徴する、という。
ボッチチェルリの「春」「ヴィーナスの誕生」で、右から祝福する薄ぎぬの女性は、薔薇の花びらを撒いている妊婦=つまり豊穣神の象徴で、二つとも透けるような衣を着ている。
テレサののも、透けていると見えなくもない。光線が当たって。
その衣の花の模様は、もちろん薔薇である。この美しい芳香の漂うような魅力的女性は、テーマのヴィーナスの「お株を奪って」いる。主人公はこっちなのではないか、というのである。
なぜなら、こちらが妊娠しているならば、ヴィーナスに出産の幸福の出番はないからである。そして、女神を左手あるいは右手の風神がさらう(フランスへの春を迎える西風)のは、児孫の繁栄・生命の繁栄を祝福する暗喩なのだから、だ。
若桑みどりさんが、画像で真っ先に掲げた「薔薇の聖母」パルミジャニーノ、の聖母も、皺くちゃの衣装であり、右の乳房さえ見えている。皺に意味はある!
テレサは、この白の皺くちゃ衣装と「対になった」黒の皺くちゃ衣装も作っていた。


*百合、十字架イヤリングは既報してあるから省略。
| HOME |