びーかん日記
尾行と監視され日記、略して「びーかん日記」である。これは、公然たるコーアンとその手先のイジメと弾圧の記録だ。花、鳥、蝶も少々。
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101210五木寛之の冬のひまわりのウソ
■101210五木寛之の冬のひまわりのウソ
*「冬のひまわり」という歌は、何種類もある。もちろん、テレサ・テンにもある。
歌は、反響がひどくあまりよくない。いいという人もいるけど、若いひとだろうな。
冬のひまわり テレサ・テン 歌詞情報 -
冬のひまわり(テレサ・テン)の歌詞:
荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲
冬に咲かないひまわりの花.
きっとかなわぬ恋を見すぎていた
http://www.youtube.com/watch?v=t4q4lnE9hH0
<この歌は1989(平成元)年3月8日に発売されたアルバム『浪漫主義』に収録された曲>シングルは不明。
冬のひまわり 歌詞 / 松原健之松原健之が歌う「冬のひまわり」の歌詞と松原健之のプロフィール、
「冬のひまわり」の関連情報を掲載しています。「冬のひまわり」は作詞:五木寛之、作曲:弦哲也の曲です。
夏の光に咲く花よりも
季節はずれの花が好き
新しいドア ?冬のひまわり?
歌手:ZARD
作詞:坂井泉水
作曲:北野正人
通り雨の中で抱きしめた
冬のひまわり チェウニ 歌詞情報 -
音楽冬のひまわり(チェウニ)の歌詞:
8時ののぞみにわざと遅らせた.
冬の向日葵 近江知永 - 歌詞タイム2008年11月28日 ...
歌手:近江知永 作詞:奥井雅美 作曲:SONIC DOVE
冬のロンドにこの曲が使われています。
:流した涙は君への道のり 透明な雪解け水 乾いた大地潤すように&l.
*2番目の歌、松原健之という歌手が、五木寛之作詞の歌を歌っている。
加山雄三の作曲だから、五木の肝いりということ。デビュー曲が金沢なんとかだから。
しかし、この歌は元はといえば、五木の同名の小説「冬のひまわり」から来ている。小説の発行は、単行本で1985年(小説雑誌だと1年前かも)になっているから、テレサの歌はだいぶ後。ただ、シングルで出していたとすればもっと早いはず。小説とテレサの歌との関係は不明。
ただ、松原の歌の方が、2008年発売となっているから、テレサの曲が先(1989年)なことは確かだ。
*小説は、日野の阿弥陀堂から始まる。ひとりの京都山科の古い旧宿屋の娘が、16歳のとき鈴鹿のサーキットで出会った青年と恋に落ち、何年後、とうとう彼は大学を卒業してイタリアへ旅立ち別れてしまう。不在の5年の間に、彼女自身が結婚、しかし、彼がまた帰国してから鈴鹿で年に1回の逢瀬を重ねる、というもの。
つまり、正直、不倫の物語なのだ。
結婚した相手は、浄土真宗の信者で、不倫を知りつつ(肉体関係の有無は知らずか)妻を鈴鹿に送り出す。
阿弥陀堂でもう会わないと決意したはずの彼女は、妊娠していた。夫の子供を。結末は、来るのを信じて8時間耐久レースの終わるまで待つと決意した男と、それを遠くから眺めてレースが終わるまでオトコが耐えたら、男の胸に飛び込もううとこれまた心に決めた女。
しかし、レースの終わる直前、彼は日射病で倒れる。彼女は、男が消えたのを見て(倒れたのを知らない)失望してとぼとぼと家に帰る。それを待っていたのは、焦燥した夫であった。夫は、その帰宅に路上でむせび泣いた。
五木は、其の前に夫にこう言わせている。
つまり、愛するということと、一緒に暮らすこととは別のような気がする、愛する者同士がいつまでも熱いままでいられるわけがない、と。
題名も「冬のひまわり」は、単に「夏のひまわり」という代名詞<人生まっさかり>の、反対だ、というだけのこと。古風な家の内気な女、という設定。夏のひまわりの方は、その彼女の友人の、性格ま反対のキャリアウーマンに設定されている。
五木のこの小説、二つのウソがあると思う。
1、インポには肉体的、精神的な原因があると思うから、もし、夫が早い段階から妻の「不倫」(精神的であれ)を知っていたなら、遅かれ早かれインポになっていたであろう。だから、子供なんか出来っこない。
2、五木の、愛と結婚の二重基準はどうも「屁理屈」くさい。
なぜ、愛と失望と言わないのか。愛が永遠に美しいという、幻想を毀したくないからなのか。あるいは、別の愛があると示唆しているのか。
先人は、結婚後の失望を遺している。
別だと思う、というのは、筆者の私生活の「合理化」操作ではないか。
おれは、正直、医師(看護婦と思っていたが)の奥さんの手慰みの「銅版画」の女性像は、気味が悪くて(まるで悪魔の工作)とても見ていられない。自身の小説に、相乗りさせたりしているが、五木さんはやはり妻の尻に敷かれているのではないか。ひょっとして、まだ売れない時代の恩義をかたくなに守っている、律儀な男なのかもしれない、とひそかに思っている。
まあ、芸能週刊誌なんかでは結構、有名人との浮名を流しているという記事も見たことがある。ばれないように、と。であれば、なおさら、上記の愛と結婚の分離の論理は、裏づけ的説明ではある。本日は、下品な話でありんす。
*「冬のひまわり」という歌は、何種類もある。もちろん、テレサ・テンにもある。
歌は、反響がひどくあまりよくない。いいという人もいるけど、若いひとだろうな。
冬のひまわり テレサ・テン 歌詞情報 -
冬のひまわり(テレサ・テン)の歌詞:
荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲
冬に咲かないひまわりの花.
きっとかなわぬ恋を見すぎていた
http://www.youtube.com/watch?v=t4q4lnE9hH0
<この歌は1989(平成元)年3月8日に発売されたアルバム『浪漫主義』に収録された曲>シングルは不明。
冬のひまわり 歌詞 / 松原健之松原健之が歌う「冬のひまわり」の歌詞と松原健之のプロフィール、
「冬のひまわり」の関連情報を掲載しています。「冬のひまわり」は作詞:五木寛之、作曲:弦哲也の曲です。
夏の光に咲く花よりも
季節はずれの花が好き
新しいドア ?冬のひまわり?
歌手:ZARD
作詞:坂井泉水
作曲:北野正人
通り雨の中で抱きしめた
冬のひまわり チェウニ 歌詞情報 -
音楽冬のひまわり(チェウニ)の歌詞:
8時ののぞみにわざと遅らせた.
冬の向日葵 近江知永 - 歌詞タイム2008年11月28日 ...
歌手:近江知永 作詞:奥井雅美 作曲:SONIC DOVE
冬のロンドにこの曲が使われています。
:流した涙は君への道のり 透明な雪解け水 乾いた大地潤すように&l.
*2番目の歌、松原健之という歌手が、五木寛之作詞の歌を歌っている。
加山雄三の作曲だから、五木の肝いりということ。デビュー曲が金沢なんとかだから。
しかし、この歌は元はといえば、五木の同名の小説「冬のひまわり」から来ている。小説の発行は、単行本で1985年(小説雑誌だと1年前かも)になっているから、テレサの歌はだいぶ後。ただ、シングルで出していたとすればもっと早いはず。小説とテレサの歌との関係は不明。
ただ、松原の歌の方が、2008年発売となっているから、テレサの曲が先(1989年)なことは確かだ。
*小説は、日野の阿弥陀堂から始まる。ひとりの京都山科の古い旧宿屋の娘が、16歳のとき鈴鹿のサーキットで出会った青年と恋に落ち、何年後、とうとう彼は大学を卒業してイタリアへ旅立ち別れてしまう。不在の5年の間に、彼女自身が結婚、しかし、彼がまた帰国してから鈴鹿で年に1回の逢瀬を重ねる、というもの。
つまり、正直、不倫の物語なのだ。
結婚した相手は、浄土真宗の信者で、不倫を知りつつ(肉体関係の有無は知らずか)妻を鈴鹿に送り出す。
阿弥陀堂でもう会わないと決意したはずの彼女は、妊娠していた。夫の子供を。結末は、来るのを信じて8時間耐久レースの終わるまで待つと決意した男と、それを遠くから眺めてレースが終わるまでオトコが耐えたら、男の胸に飛び込もううとこれまた心に決めた女。
しかし、レースの終わる直前、彼は日射病で倒れる。彼女は、男が消えたのを見て(倒れたのを知らない)失望してとぼとぼと家に帰る。それを待っていたのは、焦燥した夫であった。夫は、その帰宅に路上でむせび泣いた。
五木は、其の前に夫にこう言わせている。
つまり、愛するということと、一緒に暮らすこととは別のような気がする、愛する者同士がいつまでも熱いままでいられるわけがない、と。
題名も「冬のひまわり」は、単に「夏のひまわり」という代名詞<人生まっさかり>の、反対だ、というだけのこと。古風な家の内気な女、という設定。夏のひまわりの方は、その彼女の友人の、性格ま反対のキャリアウーマンに設定されている。
五木のこの小説、二つのウソがあると思う。
1、インポには肉体的、精神的な原因があると思うから、もし、夫が早い段階から妻の「不倫」(精神的であれ)を知っていたなら、遅かれ早かれインポになっていたであろう。だから、子供なんか出来っこない。
2、五木の、愛と結婚の二重基準はどうも「屁理屈」くさい。
なぜ、愛と失望と言わないのか。愛が永遠に美しいという、幻想を毀したくないからなのか。あるいは、別の愛があると示唆しているのか。
先人は、結婚後の失望を遺している。
別だと思う、というのは、筆者の私生活の「合理化」操作ではないか。
おれは、正直、医師(看護婦と思っていたが)の奥さんの手慰みの「銅版画」の女性像は、気味が悪くて(まるで悪魔の工作)とても見ていられない。自身の小説に、相乗りさせたりしているが、五木さんはやはり妻の尻に敷かれているのではないか。ひょっとして、まだ売れない時代の恩義をかたくなに守っている、律儀な男なのかもしれない、とひそかに思っている。
まあ、芸能週刊誌なんかでは結構、有名人との浮名を流しているという記事も見たことがある。ばれないように、と。であれば、なおさら、上記の愛と結婚の分離の論理は、裏づけ的説明ではある。本日は、下品な話でありんす。
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