びーかん日記
尾行と監視され日記、略して「びーかん日記」である。これは、公然たるコーアンとその手先のイジメと弾圧の記録だ。花、鳥、蝶も少々。
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110105幸福の基点・自足生活アボリジニ
■110105幸福の基点・自足生活アボリジニ
「大英博物館からの13の旅…パレオマニア」集英社、2500円、2004年発行。月刊「PLAYBOY」に2000年から2004年まで連載。
池澤夏樹の大部の「ハワイイ紀行」がいい。それしか知らなかったのだが、帯広出身で埼玉大学中退、福永武彦の子とは調べてみてびっくり。
最初は翻訳家として、次に詩人として、その次に小説家としてデビューした(wiki)。
上記の文章、自分のことを「男は」と第3者的に表現するんだよね。ずいぶん違和感がある。わたしは、でいいんじゃないの?なんで、他人を装うの?おかしいよ、この人。第3者を装えば、あたかも客観的な視点になれるとでもいうのだろうか。
文章の結論や結末を、ぼかして表現している。あまり過激な発言は、社会受けしないと踏んでいるから、ブレーキをかけているのだろう。保身もあるな。なにせ紫綬褒章を受けている。65歳。
しかし、我輩の蝦夷地の総括で触れた視点(幸福論から文明と未開を問う)と共通するものがある。わしは、池澤の本から拝借したわけではない。
1、
<オーストラリア篇其の1、モノに依らぬ幸福感>から。
「オーストラリア大陸に白人が入ってきて以来、元からいた先住民すなわちアボリジニは虐(いじ)められ、追い立てられ、殺され、土地を奪われてさんざんな目にあった。アメリカ大陸で起こったことや日本の蝦夷地で起こったことと同じ」。
「彼らの移動生活を想像する一方で、男は文明のことを考えた。これまで大英博物館を起点に世界のあちこちらを旅して、文明の痕跡を見てきた。
どこでも最初は狩猟採集、やがて農業が興(おこ)り、生産性が高まり、工業が生まれ、余剰の富は都市に蓄積されて文明というものを作った。この過程の最終段階にわれわれは生きている。
そして、ここに至るまでの歩みを進歩だと考えている。略。本当にそうだろうか。
文明はどこでも大きな建造物だった。ピラミッドも、ペルセポリスも、アンコールワットも、石を切り出して運んでは積み上げるという原理の実現だった。それを背後から支えているのが農業の生産性であり、統治機構だった」。
(*この人「辻まこと」を読んでいるのではないか。辻は、満州での盗賊のような転戦を振り返り、人間という文明人に嫌気がさし、我々のしていることは万里の長城のように永々と煉瓦を積み上げていることではないか、と言っているし、巨大な建造物は身の程知らずで、本来キリストの教えとは相反するものだ、と言っている。過去の辻の記事参照)。
「オーストラリアにはそういうものはなかった。アボリジニは文明を築かなかった。にもかかわらず、この岩絵に見るように、精神の内部において彼らが生み出したものの豊かさは文明の産物に劣るものではない。
移動生活は彼らにモノへの依存を許さなかった。言い換えれば彼らは移動生活のおかげでモノから解放されて、純粋に精神だけの暮らしを営むことができた。家族で背負えるだけの財産で生きてきた」。
(*これは、日本ではいわゆる"サンカ"に該当する。しかし、厳密に言うと、サンカは常民という定住民に箕などの細工品を売って生計を立てていたわけだから、アボリジニの純粋な自足の生活とは違う)。
(*この篇の文章は、アボリジニの「ブッシュ・ポテト・ドリーミング」という岩絵から書き始められている。「ブッシュ・ポテト」は彼らの主食、ブッシュの根に出来る根塊の名前。中心に渦巻きがあり、そこから周囲に帯のように幾何学的な波紋が伸びている、抽象絵画とも言える精神世界の絵。これは、ムンクの「叫び」と一緒の内容を含んでいると思う。それは、苦悩ではなく、瞑想だ。)
(*人間の文明への転換を、何かの偶然と捉える人もいた。しかし、あっちこっち文明がある以上、それを偶然と捉えるには無理がある。人間を性善的に捉え、未来に希望を見出したいのは分かるが、実際はそうなっていない。地球を破壊しているのは人間に他ならないし、いくら先進国に破壊の責任も滅亡の危機への責任もあるからと、言っても、誰も能動的にその解決に踏み込まないのだから、もう手遅れなのである。カギを握る中国の路線は、かすかな転換をも予兆させない。日本へ留学した中国人女性が中国の砂漠に植林する活動をしてるといっても、果たして根付く方法論なのかどうかもはっきりしない。モンゴルの砂漠化は進み、黄砂は年々日本に飛来している。温暖化は陰謀だとかという人もいるが、事実、経験感覚からすると、温暖化や異常気象は頻発している。人の死が後ろから思いもかけない時に襲い掛かると同様に、地球の滅亡は突然怒涛のように来るだろうと思う)。
「岩に描かれた女たちは幸福そうに見える。愉快に踊っているように見える。幸福が生きることの目的だとしたら、文明とはいったい何だったのか。何のために我々は石を積んだのか」。
ね、辻まことの文句とそっくりでしょう。
歴史は、この観点から捉え直さなければならない。人間は、悲しい生き物だから、幸福を少しでも増やすことに一所懸命にして、過程を過ごさなければならない。
裸族だからといって、かわいそうにだとか、哀れみの視点や文明の視点から下に見るのは間違いだ。疎外された文明人とどっちが可哀想か。カネを稼ぐのにあくせくする文明人がどうして豊かか。だから、アフリカの原住民に、マッチを配るオランダ人はまったく余計なお世話、文明生活を無理強いする「侵略」を犯しているのである。
2、
<オーストラリア篇其の2--アボリジニと聖なるもの>
「だからアボリジニの日人々はすべてを神話の形で頭の中に収納し、それが今見るような高度な精神文化をもたらした。
所有の意識は薄く、所有物の砦に籠(こ)もって互いに敵対する姿勢はいよいよ薄く、自然との間にはいかなる境界もない。
農業の発明が間違いだったのだろうか。アボリジニも役立つ植物の世話はすると手元の本には書いてある。それくらいでやめておけば、自然との間に、また他の氏族との間に、調和のとれたおだやかな関係を維持し、心を騒がすことなく暮らせたのだろうか。
オーストラリアで、大英博物館から最も遠い思想に出会った、と男は思った」。
*間違い、と言ってもねぇ。出来ちまったものを、あれこれ言ったところで…。
3、
<イギリス・ロンドン篇その1--ロンドンに帰る>
「これが啓蒙主義の時代だったことを忘れてはならない。大航海時代の後、世界は拡大された」。
「蒐集は蒐集を呼ぶということだ」。
「増殖の核として、スローンのコレクションは威力があった。量も質も充実していたし、何よりも国の権威があった」。
「取得が合法的であったか否かを後の時代の物差しで判断するのは、なかなかむずかしい。誰もが納得する結論は容易ではない」。
(ずいぶん、苦しい言い訳をしているな(笑)。法律うんぬんではなく、それが侵略の結果だということは間違いないだろう)。
<イギリス・ロンドン篇その2--メトロポリスにて>
本来のメトロポリスの意味は、「母なる都」という意味だそうである。
「もちろん、すべては植民地主義の産物である」。
「世界史の一時期、先に離陸した国は遅れた地域を植民地にしてその富を奪った。この現象はしかし、倫理的な評価をひとまず脇に置いて考えれば、まずもって二つの文化の出会いであった」。
「現実にはそれは収奪である。インドでも中東でもオーストラリアでも、イギリス人は持ち込む以上を持ち出した。だから今も恨まれている。収奪は繁栄をもたらし、そのずっと遠い延長上に今のロンドンがある。
道義として収奪を否定しることはできるけれど、それは時に沿った歩みをすべて無視して元に戻すことではない」。
なんだかなーぁ、これって、収奪側の居直りの弁と一緒なんだよな。元に戻せない、って。戻す気なんかないくせに、そんな「現状肯定」を追認するのは、常套手段だ。蝦夷地でもおんなじよ、居直りは。
ここら辺が、彼氏の文化人としての「保身」と世渡りのうまさを見るね。だから、害のないものとして、紫綬褒章を呉れるわけさ。
キューガーデンが登場する。憧れの再現された「熱帯雨林の温室」である。ここには、数々のランが咲いている。
前述したキューバ出身の女性歌手、Mayra Andradeがこのキューガーデンに入ってインタビューを受けていたね。
「それらを集めて、本国のイギリス人はおそらく、普遍的な「世界」という概念を発見したのだ。
ギリシャ人が実践的に地中海まで世界観を広げたとしたら、イギリス人はそれを地球全体に拡張した。その先はもうない。
現代のわれわれも、このイギリス的な世界観を踏襲している。フランシス・ベーコンの「知は力なり」という言葉を相互理解のための標語として掲げ、他者の存在を認め、互いに役立てる姿勢で社会を経営しようとしている。これが理想である。現実は征服と収奪の動きばかりだったかもしれないが、しかし理想はたしかに存在した。進むべき方向は見えていた」。
あーあ、いいこぶりっこ。
「理想」だなんて、うそだよ。征服するために、相手をしる必要があったから、だ。敵を知れば百戦危うからず、だっけ?それですよ。
だれが、<互いを認め役立てる社会経営>などと分かったような分からないような弁舌を弄しても、そんなの具体性がないではないか。
「その拠点として、大英博物館という稀有の施設があった。何年もここに通い、たくさんの旅を重ねたあげくの、これが結論だった」。
つまらない、結論だね。理想の拠点としての施設、だって?
このひと、ごまかしてるね。世間に許容されるために、芯の説をほんとは曲げて、カモフラージュしている。迎合文化人。これを「迎能人」という、なんちゃって。
大英博物館は、侵略先からの収奪の誇示に他ならないし、それは「欲のエネルギーの表層としての知」でもある。
それは、ずばり「欲望の露出」に他ならない。欲望の実現のために、サンプルが分析と知識のために必要となる。
インドネシアや南米のアマゾンで、イギリス人やアメリカ人が何故あれほど薬草の収集と分類や分析や効能の知識の習得に熱心なのかというと、それで新たな薬剤の創出で金儲けできる最先端の医療材料だから、だ。
そのために、彼の地の原住民の味方の振りをして、付け入り、原住民から必要な情報を引き出し、盗み出そうとしている。
根本には、文明的「欲望」が存在する。「知」とは「欲望の別の名前」だ。どうして、博物館を理想のための施設などとたわごとを言っていられるのか、とうてい理解できない。
ただ、あとがきが本心を露呈してるね、これは本文の欠落を補足する意味もあったのだろう。
「遠い昔の世界を歩きながら、今の文明の危機を考える」。
「多くの遺跡を見ながら、男は文明という言葉の中身を疑った。先進国と途上国を分ける物差しが文明だが、しかしこの尺度はあまりに物質的ではないか。
都市と文明と自然との関係は再考した方がいいかもしれない」。
*この「先進国と途上国」という概念自体が、誤っている。そこには必ず、先進国並みに「途上国」がなれる、途上なのだ、という前提が存在する。これが誤りなのは、「低開発国」と言い直される経済学用語が存在し(70年代)、じっさいまた帝国の発展に、その「低開発国」の経済的「停滞」が必要とされているからだ。バナナやコーヒーや紅茶あるいはパーム油という、専門特化された農業が、何のために存在するか。それは、帝国の文明のために変形奇形化された、不健全な低発達が必要だったから、だ。ここでは、健全な全般的な経済の発達は見込めない。中国などが、「低開発」の殻を破ったのは、中国側の理由によるものではなく、むしろ帝国の都合によって安い労働力と、デフレによる輸入の恩恵を受けよう、あるいはすでに満杯となった文明国での市場の狭隘化を克服しよう、新たな市場を獲得しようという動機があったからに他ならない。
「都市と文明と自然との関係」というより、もっと緻密にもっと具体的に考察する必要がある。これでは、大雑把過ぎる。再考どころか、社会システムの変更あるいは文明史観の価値観の変更を展望しないことには、崩壊はまぬかれない。もう、遅いけど。
「大英博物館からの13の旅…パレオマニア」集英社、2500円、2004年発行。月刊「PLAYBOY」に2000年から2004年まで連載。
池澤夏樹の大部の「ハワイイ紀行」がいい。それしか知らなかったのだが、帯広出身で埼玉大学中退、福永武彦の子とは調べてみてびっくり。
最初は翻訳家として、次に詩人として、その次に小説家としてデビューした(wiki)。
上記の文章、自分のことを「男は」と第3者的に表現するんだよね。ずいぶん違和感がある。わたしは、でいいんじゃないの?なんで、他人を装うの?おかしいよ、この人。第3者を装えば、あたかも客観的な視点になれるとでもいうのだろうか。
文章の結論や結末を、ぼかして表現している。あまり過激な発言は、社会受けしないと踏んでいるから、ブレーキをかけているのだろう。保身もあるな。なにせ紫綬褒章を受けている。65歳。
しかし、我輩の蝦夷地の総括で触れた視点(幸福論から文明と未開を問う)と共通するものがある。わしは、池澤の本から拝借したわけではない。
1、
<オーストラリア篇其の1、モノに依らぬ幸福感>から。
「オーストラリア大陸に白人が入ってきて以来、元からいた先住民すなわちアボリジニは虐(いじ)められ、追い立てられ、殺され、土地を奪われてさんざんな目にあった。アメリカ大陸で起こったことや日本の蝦夷地で起こったことと同じ」。
「彼らの移動生活を想像する一方で、男は文明のことを考えた。これまで大英博物館を起点に世界のあちこちらを旅して、文明の痕跡を見てきた。
どこでも最初は狩猟採集、やがて農業が興(おこ)り、生産性が高まり、工業が生まれ、余剰の富は都市に蓄積されて文明というものを作った。この過程の最終段階にわれわれは生きている。
そして、ここに至るまでの歩みを進歩だと考えている。略。本当にそうだろうか。
文明はどこでも大きな建造物だった。ピラミッドも、ペルセポリスも、アンコールワットも、石を切り出して運んでは積み上げるという原理の実現だった。それを背後から支えているのが農業の生産性であり、統治機構だった」。
(*この人「辻まこと」を読んでいるのではないか。辻は、満州での盗賊のような転戦を振り返り、人間という文明人に嫌気がさし、我々のしていることは万里の長城のように永々と煉瓦を積み上げていることではないか、と言っているし、巨大な建造物は身の程知らずで、本来キリストの教えとは相反するものだ、と言っている。過去の辻の記事参照)。
「オーストラリアにはそういうものはなかった。アボリジニは文明を築かなかった。にもかかわらず、この岩絵に見るように、精神の内部において彼らが生み出したものの豊かさは文明の産物に劣るものではない。
移動生活は彼らにモノへの依存を許さなかった。言い換えれば彼らは移動生活のおかげでモノから解放されて、純粋に精神だけの暮らしを営むことができた。家族で背負えるだけの財産で生きてきた」。
(*これは、日本ではいわゆる"サンカ"に該当する。しかし、厳密に言うと、サンカは常民という定住民に箕などの細工品を売って生計を立てていたわけだから、アボリジニの純粋な自足の生活とは違う)。
(*この篇の文章は、アボリジニの「ブッシュ・ポテト・ドリーミング」という岩絵から書き始められている。「ブッシュ・ポテト」は彼らの主食、ブッシュの根に出来る根塊の名前。中心に渦巻きがあり、そこから周囲に帯のように幾何学的な波紋が伸びている、抽象絵画とも言える精神世界の絵。これは、ムンクの「叫び」と一緒の内容を含んでいると思う。それは、苦悩ではなく、瞑想だ。)
(*人間の文明への転換を、何かの偶然と捉える人もいた。しかし、あっちこっち文明がある以上、それを偶然と捉えるには無理がある。人間を性善的に捉え、未来に希望を見出したいのは分かるが、実際はそうなっていない。地球を破壊しているのは人間に他ならないし、いくら先進国に破壊の責任も滅亡の危機への責任もあるからと、言っても、誰も能動的にその解決に踏み込まないのだから、もう手遅れなのである。カギを握る中国の路線は、かすかな転換をも予兆させない。日本へ留学した中国人女性が中国の砂漠に植林する活動をしてるといっても、果たして根付く方法論なのかどうかもはっきりしない。モンゴルの砂漠化は進み、黄砂は年々日本に飛来している。温暖化は陰謀だとかという人もいるが、事実、経験感覚からすると、温暖化や異常気象は頻発している。人の死が後ろから思いもかけない時に襲い掛かると同様に、地球の滅亡は突然怒涛のように来るだろうと思う)。
「岩に描かれた女たちは幸福そうに見える。愉快に踊っているように見える。幸福が生きることの目的だとしたら、文明とはいったい何だったのか。何のために我々は石を積んだのか」。
ね、辻まことの文句とそっくりでしょう。
歴史は、この観点から捉え直さなければならない。人間は、悲しい生き物だから、幸福を少しでも増やすことに一所懸命にして、過程を過ごさなければならない。
裸族だからといって、かわいそうにだとか、哀れみの視点や文明の視点から下に見るのは間違いだ。疎外された文明人とどっちが可哀想か。カネを稼ぐのにあくせくする文明人がどうして豊かか。だから、アフリカの原住民に、マッチを配るオランダ人はまったく余計なお世話、文明生活を無理強いする「侵略」を犯しているのである。
2、
<オーストラリア篇其の2--アボリジニと聖なるもの>
「だからアボリジニの日人々はすべてを神話の形で頭の中に収納し、それが今見るような高度な精神文化をもたらした。
所有の意識は薄く、所有物の砦に籠(こ)もって互いに敵対する姿勢はいよいよ薄く、自然との間にはいかなる境界もない。
農業の発明が間違いだったのだろうか。アボリジニも役立つ植物の世話はすると手元の本には書いてある。それくらいでやめておけば、自然との間に、また他の氏族との間に、調和のとれたおだやかな関係を維持し、心を騒がすことなく暮らせたのだろうか。
オーストラリアで、大英博物館から最も遠い思想に出会った、と男は思った」。
*間違い、と言ってもねぇ。出来ちまったものを、あれこれ言ったところで…。
3、
<イギリス・ロンドン篇その1--ロンドンに帰る>
「これが啓蒙主義の時代だったことを忘れてはならない。大航海時代の後、世界は拡大された」。
「蒐集は蒐集を呼ぶということだ」。
「増殖の核として、スローンのコレクションは威力があった。量も質も充実していたし、何よりも国の権威があった」。
「取得が合法的であったか否かを後の時代の物差しで判断するのは、なかなかむずかしい。誰もが納得する結論は容易ではない」。
(ずいぶん、苦しい言い訳をしているな(笑)。法律うんぬんではなく、それが侵略の結果だということは間違いないだろう)。
<イギリス・ロンドン篇その2--メトロポリスにて>
本来のメトロポリスの意味は、「母なる都」という意味だそうである。
「もちろん、すべては植民地主義の産物である」。
「世界史の一時期、先に離陸した国は遅れた地域を植民地にしてその富を奪った。この現象はしかし、倫理的な評価をひとまず脇に置いて考えれば、まずもって二つの文化の出会いであった」。
「現実にはそれは収奪である。インドでも中東でもオーストラリアでも、イギリス人は持ち込む以上を持ち出した。だから今も恨まれている。収奪は繁栄をもたらし、そのずっと遠い延長上に今のロンドンがある。
道義として収奪を否定しることはできるけれど、それは時に沿った歩みをすべて無視して元に戻すことではない」。
なんだかなーぁ、これって、収奪側の居直りの弁と一緒なんだよな。元に戻せない、って。戻す気なんかないくせに、そんな「現状肯定」を追認するのは、常套手段だ。蝦夷地でもおんなじよ、居直りは。
ここら辺が、彼氏の文化人としての「保身」と世渡りのうまさを見るね。だから、害のないものとして、紫綬褒章を呉れるわけさ。
キューガーデンが登場する。憧れの再現された「熱帯雨林の温室」である。ここには、数々のランが咲いている。
前述したキューバ出身の女性歌手、Mayra Andradeがこのキューガーデンに入ってインタビューを受けていたね。
「それらを集めて、本国のイギリス人はおそらく、普遍的な「世界」という概念を発見したのだ。
ギリシャ人が実践的に地中海まで世界観を広げたとしたら、イギリス人はそれを地球全体に拡張した。その先はもうない。
現代のわれわれも、このイギリス的な世界観を踏襲している。フランシス・ベーコンの「知は力なり」という言葉を相互理解のための標語として掲げ、他者の存在を認め、互いに役立てる姿勢で社会を経営しようとしている。これが理想である。現実は征服と収奪の動きばかりだったかもしれないが、しかし理想はたしかに存在した。進むべき方向は見えていた」。
あーあ、いいこぶりっこ。
「理想」だなんて、うそだよ。征服するために、相手をしる必要があったから、だ。敵を知れば百戦危うからず、だっけ?それですよ。
だれが、<互いを認め役立てる社会経営>などと分かったような分からないような弁舌を弄しても、そんなの具体性がないではないか。
「その拠点として、大英博物館という稀有の施設があった。何年もここに通い、たくさんの旅を重ねたあげくの、これが結論だった」。
つまらない、結論だね。理想の拠点としての施設、だって?
このひと、ごまかしてるね。世間に許容されるために、芯の説をほんとは曲げて、カモフラージュしている。迎合文化人。これを「迎能人」という、なんちゃって。
大英博物館は、侵略先からの収奪の誇示に他ならないし、それは「欲のエネルギーの表層としての知」でもある。
それは、ずばり「欲望の露出」に他ならない。欲望の実現のために、サンプルが分析と知識のために必要となる。
インドネシアや南米のアマゾンで、イギリス人やアメリカ人が何故あれほど薬草の収集と分類や分析や効能の知識の習得に熱心なのかというと、それで新たな薬剤の創出で金儲けできる最先端の医療材料だから、だ。
そのために、彼の地の原住民の味方の振りをして、付け入り、原住民から必要な情報を引き出し、盗み出そうとしている。
根本には、文明的「欲望」が存在する。「知」とは「欲望の別の名前」だ。どうして、博物館を理想のための施設などとたわごとを言っていられるのか、とうてい理解できない。
ただ、あとがきが本心を露呈してるね、これは本文の欠落を補足する意味もあったのだろう。
「遠い昔の世界を歩きながら、今の文明の危機を考える」。
「多くの遺跡を見ながら、男は文明という言葉の中身を疑った。先進国と途上国を分ける物差しが文明だが、しかしこの尺度はあまりに物質的ではないか。
都市と文明と自然との関係は再考した方がいいかもしれない」。
*この「先進国と途上国」という概念自体が、誤っている。そこには必ず、先進国並みに「途上国」がなれる、途上なのだ、という前提が存在する。これが誤りなのは、「低開発国」と言い直される経済学用語が存在し(70年代)、じっさいまた帝国の発展に、その「低開発国」の経済的「停滞」が必要とされているからだ。バナナやコーヒーや紅茶あるいはパーム油という、専門特化された農業が、何のために存在するか。それは、帝国の文明のために変形奇形化された、不健全な低発達が必要だったから、だ。ここでは、健全な全般的な経済の発達は見込めない。中国などが、「低開発」の殻を破ったのは、中国側の理由によるものではなく、むしろ帝国の都合によって安い労働力と、デフレによる輸入の恩恵を受けよう、あるいはすでに満杯となった文明国での市場の狭隘化を克服しよう、新たな市場を獲得しようという動機があったからに他ならない。
「都市と文明と自然との関係」というより、もっと緻密にもっと具体的に考察する必要がある。これでは、大雑把過ぎる。再考どころか、社会システムの変更あるいは文明史観の価値観の変更を展望しないことには、崩壊はまぬかれない。もう、遅いけど。
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