びーかん日記
尾行と監視され日記、略して「びーかん日記」である。これは、公然たるコーアンとその手先のイジメと弾圧の記録だ。花、鳥、蝶も少々。
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100722麗君テレサ・テン暗殺説
■100722麗君テレサ・テン暗殺説
セピア色の麗君テレサ・テン。
*追記:110227テレサ自殺説の浮上とあくまで病気説。
極右翼のいかれぽんちが、殺しのほのめかしの故か盛んに暗示を掛けて来ているが、静岡などから来れもしないのにお笑いだが(待ってるゼ)、
それとは別に、この「暗殺説」は重要な問題であるので、明確に態度を表明する必要を感じた。なぜなら、暗殺説は、今もって大きな影響力を有するテレサ・テン麗君に関心を持っている、諸所の人々に、少なからぬ侮辱や持ち上げなど政治的にも左右するから、だ。
わたしは、テレサ・テンの数多くの記事をアップして来たが、その後次第に考えが変化し、つい先ごろには<死亡原因について私の心は揺れている>と、書いた。なぜなら、暗殺説はテレサが父親と同じ日に死んだ意味を、どうやったて崩せないのだ。
では、自殺説が本命かというと、これもほんとのところ分からない。なぜなら、彼女は仙台への最後の来日ではオレンジジュースしか飲まないほどダイエットしていたのである。体調の不良が病気の急変に作用することは有りうることである。ならば、父の命日の日と同じ死亡だとしても、それはどちらとも言えなくなる。
そして、テレサの遺体にあったというアザの件である。どの時点の証言か分からないが、死亡して「死亡斑」が出る事は通常である。わたしは、じっさい肉親の遺体で経験している。しかも、南国で。
注射器の跡について。これも分からない。もし、テレサが自分でした、としたら…。だれがしたのか。医者の「遺体保存のため」というのは嘘だろう。誤魔化すために、言ったと思う。関係者だれかは知らないが、その理由の方が都合がよかったのだろう。
テレサを、ゴシップの渦中に投げ入れたくはなかった、と。その親密な関係者は。これらの理由が、絡み合って、病気説は世間に通り抜けて行った。もし、暗殺者が居たとしたら、そのテレサの風説の処理は、まことに、やつらの思惑のレールどおりに、事は進んだのである。
世の中には、このようなことがよくある。わたしの経験からして、そうである。言いたくはないのだが、在り来たりの無念の諦念的言辞をここで吐き出すしかない。
いずれにしろ、テレサはもう帰ってこないのだから、と。「何日君再来」嗚呼。(了)
1、
*
麗君テレサ・テンの、暗殺説の疑いが、調査の結果、濃厚になった。(中国では、暗殺説は当然のように支持され、日本のように病気説は少ないという)。
彼女のスタンスは極めて明瞭であった。だからこそ、反感を買った。
香港でのコンサートに、中国幹部が一角を占めていたのを見た彼女は、すぐ「中華民国頌」を歌った、機転切り返しのうまさである。(黄色の政治メッセージを想起せよ!)
<「大陸でコンサートを開いても、聞きに来るのは共産党の幹部ばかり。私の歌を愛してくれる一般の人々には届かない」というのがその理由。1984年に香港のホンハムでコンサートが開かれた際も、会場に軍服姿の共産党幹部が多く座っているのを見るや『中華民國頌』という曲を歌って、軍服の一団が席を立ったというエピソード>があるという。(あじえんざんまい、から)
ついでに言えば、1983年発表レコード、あの淡淡幽情の宋詞を書いた詩人は、時の王朝によって暗殺されるのである。
この歌は、政治メッセージだ!(黄色のインパクトを想起せよ)
<南唐の最後の王で、捕虜となったのち暗殺されたと噂される悲運の詩人・李後主(李 937-978)の詠んだ叙情的な作品。CDの解説によると、この詞の中の[故国不堪回首月明中](月明りの中、堪らず滅びし故国を回想せり)という句が、宋の太宗の怒りを買って毒殺されてしまった>
(全く、この通りになってしまった!麗君!)
王朝権力は中国政府権力であり、これはじつは共産党批判になっているのである。
わたしは、テレサがあの「幾多愁」を歌った時、マイクを握った手を、こぶし(小節)の区切りを勢いよく付ける、握り直したのを見た。
これは、彼女のいつもの、気風(きっぷ)のよさの表現でもある。
悲しい叙情を漂わせる技術の陰に、逆の動作の中に、はっきりした彼女の「意志」を見た。あれは、「黄色メッセージ」と同じなのである。泣いているのは、民衆である。その暗喩。
レコードに含まれる「但願人長久」の曲。これには、こういう歌詞がある。
「千里離るれど眺むる月はひとつ」。
これまた、本土と離れて暮らす、台湾あるいは華僑の中国人の想いではなかったか。それを、テレサ彼女は、伝えているのである。
だからこそ、政治メッセージだというのである。「深慮」、思いは深い。
彼女が、唐選宋詞を「たまたま」手にしたのは、果たして自分の「偶然」だったのか、はたまた誰かとの接触の中で、得たものかは、分からない。
しかし、軍への慰問を亡くなる直前にも決して欠かさず、なにより、自主的に積極的に参加していることに、注目すべきだろう。彼女は、「活動家」なのである。だからこそ、「君また何時還る」から「いえらいしゃん」また、今回の淡淡幽情に至る「深慮」があった、というべきだろう、と思う。
そして、彼女が、いかに、大衆の目線でモノを考えていたか、は、9年間一緒に歌手生活を見て来たマネージャーだった彼が、テレサはレコードにこだわった、と証言していることから分かるだろうと思う。
蛇足だが、レコード「香港」は4000万円以上の経費が掛かっている、という。ペイしない額である。これは、完成度にテレサがこだわったからだ、という。
彼女には、この歌詞に思い入れがあったのだろう。ついでに言うなれば、作詞家の荒木氏は何かしらテレサの私生活の方向を暗示するような、歌詞ばかり書いているような、じつに不可解・不可思議な動きというか、作詞をしている。なぜなのか。
それはさておくとして、
2、
他の陰謀説は、フランスと日本の謀略を指摘しているが、当たり前に考えれば、民主化闘争を嫌っているのは、中国なのであるから、中国が一枚かんでいるのではないか、と思うのが当然じゃないか、と思う。
結局のところ、私は肺病の可能性を見ていたが、あれほどの急性憎悪は普通ありえない。肺の病気はだんだん悪くなるので、死に至るまでは、酸素吸入などの経過措置がどうしても通過のスパンというかロードなのである。
首にあったという注射針の跡。
直前に(?)、黒服の男が彼女の部屋に入っていった、という証言。
どうして、入れたのか不明だが、テレサがカギを掛けていたら、合鍵をもって入るか、マスターキー(カード)であればすんなり入れる。しかも、これはホテル従業員から入手可能だろう。
死亡原因は、呼吸器への急速悪化をもたらす薬剤の注入。
犯人は、仏人の毎日の行動をチェックしており、外出して行くのを確認してから、実行に移った。
仏人が、共犯であったのかどうかは不明だ。
だが、このころ、フランスが新幹線を中国に売り込みに掛かっていた、という掲示板での指摘もあるように、民主化を嫌う中国とともに、反中国のテレサ・テンは、フランスにとっても、有名実力歌手だけに、目の上のたんこぶ、であった。
陰謀説は、フランスと日本の共同謀議だと説く。
これは、日本が天安門事件にもかかわらず、中国と本格的に、交流を深めて行く時期と一致するから、日本にとってもテレサは、目障りな存在である。
テレサの死んだのは、1995年の5月8日。
日本政府の動きはこうだ。
1995年2月 日中友好21世紀委員会第10回会議(於:北京、青島)
4月 喬石全人代常務委員長訪日
5月 村山富市総理訪中
8月 村山富市総理、終戦50周年にあたり総理談話を発表
11月 江沢民国家主席、銭其琛副総理兼外交部長訪日(於:大阪、APEC)
12月 河野洋平外相訪中
村山富市総理の訪中日は、5月4日あたりらしい(調査不足)。
しかし、重要な、例の村山談話のあったのが、8月なのだ。邪魔者は消せの、時期としては十分なのではないか。
(シラクの当選プレゼントだというのだが、どうだろう。わからん)。
どうして、誰も麗君テレサ・テンを守ってやれなかったのか、それがくやしい。
テレサ最期のホテル。チェンマイ・タイ。
●チェンマイの料理店に残っている麗君の、サイン色紙。
<これは、チェンマイとタイで一番のスープです。
新年おめでとう、1995年、あなたに良い出会いと幸福が訪れますように。
一番の願いとともに!(祈念しています)、恭喜発財!(*喜はのぎ偏)
麗君(丸みを帯びた、両脇がまるで耳飾りかお下げ髪みたいなサイン、可愛い)>
*註:最期の4文字熟語は、豊かになるように、の慣用句らしい。字は全体に、幼い。
3、
(資料)
●<さて、「テレサテンの暗殺」について、世直し隊さんからもいただきました。"その人間" は、こともなげに 「あー、あれは暗殺」 と言い放ったのです。まるで、病死説を何の疑いも抱かず信じてしまう日本人の愚かさをなじるように。>
<テレサは正直すぎたのです。何よりメンツを最優先に考える中国共産党の逆鱗に触れてしまったのです。彼女が台湾人であれば、もっと過激な政治活動を行ったとしても暗殺されることはなかったでしょう。>(中国人留学生ビジネスとテレサテンの死について,平成18年06月28日,投稿者:ポン。論談)
●
<私は、世界で国家規模で陰謀を行うのは日本だけだと思っていた。これまでの調査の中でしばしばフランスが登場することに気づき、フランスの共謀は指摘した。だが、フランスの単独陰謀の容疑が浮かび上がった。フランスには、対外保安総局(DGSE)という特務機関がある。>
<信憑性はどうなのか、若干の疑問はあるが、情報の中には重要な事案が含まれることもあり、一読に値する。私は、このシナリオを読んで、日本国内の公安警察の率いる集団ストーカーの嫌がらせと酷似する点が多々ある>(陰謀論)
●
「テレサ・テンは意外と早くからタイを訪れていた。日本にデビューする2年前(18歳)、すでに東南アジアのコンサートツアーとしてタイに何度も訪れている。(音楽活動)
テレサ・テンのチェンマイ訪問は、その20年以上後の話となる。」
「コーヒーを飲みながらしばしたたずむ。本来なら、「ラタナー」に
テレサ・テンが書き記した(サイン)「With The Best Wishes!…1・1・95」の写真がこの旅行記を飾っているはずなのだが…。」(ある個人のテレサ追跡レポート)
●
「会場にノーメイクで駆けつけ「私の家は山の向こう」を歌った。その時から 中国政府とテレサに対する政治的圧力が始まった」。
●
<2008/09/07
「日本のテレビに出てくる中国のコメンテーターは、すべて中国公安の工作員」というのは事実。
大学教授の朱○栄、東海大学の講師(中国では俳優だった)が周知。あと、満州人の女性アナウンサーだった人。彼らもまた四六時中、公安に尾行されている。一時期、もてはやされた美人の中国人女性は日本人社長の愛人になっていた。
以上、私の友人の留学生女性(都内有名大学大学院)から聞いた話。彼女自身も公安に尾行されている。中国最大の都市のトップの娘。今は国際会議の通訳をやっている。
彼女の話によれば、日本でおなじみの麗君という女性歌手。中国公安の薬物による暗殺だそうな。「そんなのみんな中国人は知っている。病死などと信じているのは日本人だけ。救いようがない日本人!」とも言ってました。私は、お人好しだそうですw>(掲示板、さくら)
<2008/09/07さくら
麗君は、日本では台湾人だと思われているが中国本土の人間。台湾側について、中国本土に対して反戦運動をやっていた。面子丸つぶれ、ということで○されたそーです。(*註:民主化運動でショ!この人物、あちこち「反戦運動」という間違いを書き散らしている)
本当かどうかは知らんが、そのハニートラップが言っていたw>
●
<国民党諜報部門の高官、谷正文氏が自ら告白、冷戦の悲劇:テレサ・テンは国民党安全局三処のために働く人員だった。
1968年夏、テレサはシンガポールから1969年の国立大劇場での慈善音楽界公演への招待を受けた。そのため弱冠15歳のテレサは台湾国民政府関係部門に出境申請を提出した。
当時大陸は文革の動乱期であり台湾も蒋介石が軍事管制の戒厳令をしいていた。全台湾が国民党の憲兵の厳格な軍政のもと、各種民間社会活動や人々の自由は表にはわからないように監視され、言うまでもなく出入境管理制度も厳格になった。(ということで交換条件として情報工作をさせられたらしい)
テレサのようにこうして特務工作情報員にさせられた人員は原則的に専門スパイと根本的に違いがある。彼らは特別技能を要するような諜報工作を担当するのではなくただ彼らの現存の条件下において、適当な状況下で国民党政府に奉仕しただけだ。
ちなみにこの発言はテレサの家族が全否定し、、、
「親愛なる大陸の同胞よ、こんにちは、私はテレサ・テンです。私は今金門の放送局に来て大陸の沿海地域の同胞に向かい放送しています。
私が今日ここで言いたいのは、自由な祖国の第一前線金門に立てることができとても嬉しく幸せだということです。
私は大陸の同胞にも私たちのように自由と民主を享受してもらいたいのです。自由と民主と豊かさのある生活で初めて個人の理想を実現できる機会が得られるのです。」
(略)
でもこのテレサ効果は凄かったらしく中国中にテープが回っていったそうです。(略)
時の中国政府は放送禁止だけでなく聴くことも禁じて徹底的に取り締まったそうです。その理由は精神汚染。
あふれんばかりの才能に皆が群がり個人としてのテレサはなすすべなく流されてしまう。悲しい人生ですね。
スパイであったかどうかなんていうことは優秀であればあるほどわからないわけですから永遠の謎でしょう。
でも国民党に利用されていた事実以上に
彼女が中国民衆を愛して民衆のために歌い、民衆の自由と幸福を願っていたことが重要だと思います>。(中華状元への道から)
(*コメント:わたしは、彼女を犠牲者だという面からだけ見るのには反対だ。彼女自身の自主性や積極性は、軍の慰問のビデオを見れば一目瞭然である。生き生きしている面もあるのである。その是非がどうであれ。また、わたしは、彼女の政治的立場に関し、ひとことも賛意も反意も表してはいない。わたしは、彼女の歌を愛するのである)。
●
「歌手活動を休止していた1990年代に、二回ほど彼女の死亡説が流れた。一度目は、1990年5月頃に父親の葬儀への欠席をきっかけに病死説が。二度目は、翌年4月頃に病死説・暗殺説が流れていた。暗殺説の背景に、「中国の民主化」の影響力を阻止したい中国当局の関与説が上がっている」(テレサテンを偲ぶページ)。

*追記:110227テレサ自殺説の浮上とあくまで病気説。
極右翼のいかれぽんちが、殺しのほのめかしの故か盛んに暗示を掛けて来ているが、静岡などから来れもしないのにお笑いだが(待ってるゼ)、
それとは別に、この「暗殺説」は重要な問題であるので、明確に態度を表明する必要を感じた。なぜなら、暗殺説は、今もって大きな影響力を有するテレサ・テン麗君に関心を持っている、諸所の人々に、少なからぬ侮辱や持ち上げなど政治的にも左右するから、だ。
わたしは、テレサ・テンの数多くの記事をアップして来たが、その後次第に考えが変化し、つい先ごろには<死亡原因について私の心は揺れている>と、書いた。なぜなら、暗殺説はテレサが父親と同じ日に死んだ意味を、どうやったて崩せないのだ。
では、自殺説が本命かというと、これもほんとのところ分からない。なぜなら、彼女は仙台への最後の来日ではオレンジジュースしか飲まないほどダイエットしていたのである。体調の不良が病気の急変に作用することは有りうることである。ならば、父の命日の日と同じ死亡だとしても、それはどちらとも言えなくなる。
そして、テレサの遺体にあったというアザの件である。どの時点の証言か分からないが、死亡して「死亡斑」が出る事は通常である。わたしは、じっさい肉親の遺体で経験している。しかも、南国で。
注射器の跡について。これも分からない。もし、テレサが自分でした、としたら…。だれがしたのか。医者の「遺体保存のため」というのは嘘だろう。誤魔化すために、言ったと思う。関係者だれかは知らないが、その理由の方が都合がよかったのだろう。
テレサを、ゴシップの渦中に投げ入れたくはなかった、と。その親密な関係者は。これらの理由が、絡み合って、病気説は世間に通り抜けて行った。もし、暗殺者が居たとしたら、そのテレサの風説の処理は、まことに、やつらの思惑のレールどおりに、事は進んだのである。
世の中には、このようなことがよくある。わたしの経験からして、そうである。言いたくはないのだが、在り来たりの無念の諦念的言辞をここで吐き出すしかない。
いずれにしろ、テレサはもう帰ってこないのだから、と。「何日君再来」嗚呼。(了)
1、
*
麗君テレサ・テンの、暗殺説の疑いが、調査の結果、濃厚になった。(中国では、暗殺説は当然のように支持され、日本のように病気説は少ないという)。
彼女のスタンスは極めて明瞭であった。だからこそ、反感を買った。
香港でのコンサートに、中国幹部が一角を占めていたのを見た彼女は、すぐ「中華民国頌」を歌った、機転切り返しのうまさである。(黄色の政治メッセージを想起せよ!)
<「大陸でコンサートを開いても、聞きに来るのは共産党の幹部ばかり。私の歌を愛してくれる一般の人々には届かない」というのがその理由。1984年に香港のホンハムでコンサートが開かれた際も、会場に軍服姿の共産党幹部が多く座っているのを見るや『中華民國頌』という曲を歌って、軍服の一団が席を立ったというエピソード>があるという。(あじえんざんまい、から)
ついでに言えば、1983年発表レコード、あの淡淡幽情の宋詞を書いた詩人は、時の王朝によって暗殺されるのである。
この歌は、政治メッセージだ!(黄色のインパクトを想起せよ)
<南唐の最後の王で、捕虜となったのち暗殺されたと噂される悲運の詩人・李後主(李 937-978)の詠んだ叙情的な作品。CDの解説によると、この詞の中の[故国不堪回首月明中](月明りの中、堪らず滅びし故国を回想せり)という句が、宋の太宗の怒りを買って毒殺されてしまった>
(全く、この通りになってしまった!麗君!)
王朝権力は中国政府権力であり、これはじつは共産党批判になっているのである。
わたしは、テレサがあの「幾多愁」を歌った時、マイクを握った手を、こぶし(小節)の区切りを勢いよく付ける、握り直したのを見た。
これは、彼女のいつもの、気風(きっぷ)のよさの表現でもある。
悲しい叙情を漂わせる技術の陰に、逆の動作の中に、はっきりした彼女の「意志」を見た。あれは、「黄色メッセージ」と同じなのである。泣いているのは、民衆である。その暗喩。
レコードに含まれる「但願人長久」の曲。これには、こういう歌詞がある。
「千里離るれど眺むる月はひとつ」。
これまた、本土と離れて暮らす、台湾あるいは華僑の中国人の想いではなかったか。それを、テレサ彼女は、伝えているのである。
だからこそ、政治メッセージだというのである。「深慮」、思いは深い。
彼女が、唐選宋詞を「たまたま」手にしたのは、果たして自分の「偶然」だったのか、はたまた誰かとの接触の中で、得たものかは、分からない。
しかし、軍への慰問を亡くなる直前にも決して欠かさず、なにより、自主的に積極的に参加していることに、注目すべきだろう。彼女は、「活動家」なのである。だからこそ、「君また何時還る」から「いえらいしゃん」また、今回の淡淡幽情に至る「深慮」があった、というべきだろう、と思う。
そして、彼女が、いかに、大衆の目線でモノを考えていたか、は、9年間一緒に歌手生活を見て来たマネージャーだった彼が、テレサはレコードにこだわった、と証言していることから分かるだろうと思う。
蛇足だが、レコード「香港」は4000万円以上の経費が掛かっている、という。ペイしない額である。これは、完成度にテレサがこだわったからだ、という。
彼女には、この歌詞に思い入れがあったのだろう。ついでに言うなれば、作詞家の荒木氏は何かしらテレサの私生活の方向を暗示するような、歌詞ばかり書いているような、じつに不可解・不可思議な動きというか、作詞をしている。なぜなのか。
それはさておくとして、
2、
他の陰謀説は、フランスと日本の謀略を指摘しているが、当たり前に考えれば、民主化闘争を嫌っているのは、中国なのであるから、中国が一枚かんでいるのではないか、と思うのが当然じゃないか、と思う。
結局のところ、私は肺病の可能性を見ていたが、あれほどの急性憎悪は普通ありえない。肺の病気はだんだん悪くなるので、死に至るまでは、酸素吸入などの経過措置がどうしても通過のスパンというかロードなのである。
首にあったという注射針の跡。
直前に(?)、黒服の男が彼女の部屋に入っていった、という証言。
どうして、入れたのか不明だが、テレサがカギを掛けていたら、合鍵をもって入るか、マスターキー(カード)であればすんなり入れる。しかも、これはホテル従業員から入手可能だろう。
死亡原因は、呼吸器への急速悪化をもたらす薬剤の注入。
犯人は、仏人の毎日の行動をチェックしており、外出して行くのを確認してから、実行に移った。
仏人が、共犯であったのかどうかは不明だ。
だが、このころ、フランスが新幹線を中国に売り込みに掛かっていた、という掲示板での指摘もあるように、民主化を嫌う中国とともに、反中国のテレサ・テンは、フランスにとっても、有名実力歌手だけに、目の上のたんこぶ、であった。
陰謀説は、フランスと日本の共同謀議だと説く。
これは、日本が天安門事件にもかかわらず、中国と本格的に、交流を深めて行く時期と一致するから、日本にとってもテレサは、目障りな存在である。
テレサの死んだのは、1995年の5月8日。
日本政府の動きはこうだ。
1995年2月 日中友好21世紀委員会第10回会議(於:北京、青島)
4月 喬石全人代常務委員長訪日
5月 村山富市総理訪中
8月 村山富市総理、終戦50周年にあたり総理談話を発表
11月 江沢民国家主席、銭其琛副総理兼外交部長訪日(於:大阪、APEC)
12月 河野洋平外相訪中
村山富市総理の訪中日は、5月4日あたりらしい(調査不足)。
しかし、重要な、例の村山談話のあったのが、8月なのだ。邪魔者は消せの、時期としては十分なのではないか。
(シラクの当選プレゼントだというのだが、どうだろう。わからん)。
どうして、誰も麗君テレサ・テンを守ってやれなかったのか、それがくやしい。

●チェンマイの料理店に残っている麗君の、サイン色紙。
<これは、チェンマイとタイで一番のスープです。
新年おめでとう、1995年、あなたに良い出会いと幸福が訪れますように。
一番の願いとともに!(祈念しています)、恭喜発財!(*喜はのぎ偏)
麗君(丸みを帯びた、両脇がまるで耳飾りかお下げ髪みたいなサイン、可愛い)>
*註:最期の4文字熟語は、豊かになるように、の慣用句らしい。字は全体に、幼い。
3、
(資料)
●<さて、「テレサテンの暗殺」について、世直し隊さんからもいただきました。"その人間" は、こともなげに 「あー、あれは暗殺」 と言い放ったのです。まるで、病死説を何の疑いも抱かず信じてしまう日本人の愚かさをなじるように。>
<テレサは正直すぎたのです。何よりメンツを最優先に考える中国共産党の逆鱗に触れてしまったのです。彼女が台湾人であれば、もっと過激な政治活動を行ったとしても暗殺されることはなかったでしょう。>(中国人留学生ビジネスとテレサテンの死について,平成18年06月28日,投稿者:ポン。論談)
●
<私は、世界で国家規模で陰謀を行うのは日本だけだと思っていた。これまでの調査の中でしばしばフランスが登場することに気づき、フランスの共謀は指摘した。だが、フランスの単独陰謀の容疑が浮かび上がった。フランスには、対外保安総局(DGSE)という特務機関がある。>
<信憑性はどうなのか、若干の疑問はあるが、情報の中には重要な事案が含まれることもあり、一読に値する。私は、このシナリオを読んで、日本国内の公安警察の率いる集団ストーカーの嫌がらせと酷似する点が多々ある>(陰謀論)
●
「テレサ・テンは意外と早くからタイを訪れていた。日本にデビューする2年前(18歳)、すでに東南アジアのコンサートツアーとしてタイに何度も訪れている。(音楽活動)
テレサ・テンのチェンマイ訪問は、その20年以上後の話となる。」
「コーヒーを飲みながらしばしたたずむ。本来なら、「ラタナー」に
テレサ・テンが書き記した(サイン)「With The Best Wishes!…1・1・95」の写真がこの旅行記を飾っているはずなのだが…。」(ある個人のテレサ追跡レポート)
●
「会場にノーメイクで駆けつけ「私の家は山の向こう」を歌った。その時から 中国政府とテレサに対する政治的圧力が始まった」。
●
<2008/09/07
「日本のテレビに出てくる中国のコメンテーターは、すべて中国公安の工作員」というのは事実。
大学教授の朱○栄、東海大学の講師(中国では俳優だった)が周知。あと、満州人の女性アナウンサーだった人。彼らもまた四六時中、公安に尾行されている。一時期、もてはやされた美人の中国人女性は日本人社長の愛人になっていた。
以上、私の友人の留学生女性(都内有名大学大学院)から聞いた話。彼女自身も公安に尾行されている。中国最大の都市のトップの娘。今は国際会議の通訳をやっている。
彼女の話によれば、日本でおなじみの麗君という女性歌手。中国公安の薬物による暗殺だそうな。「そんなのみんな中国人は知っている。病死などと信じているのは日本人だけ。救いようがない日本人!」とも言ってました。私は、お人好しだそうですw>(掲示板、さくら)
<2008/09/07さくら
麗君は、日本では台湾人だと思われているが中国本土の人間。台湾側について、中国本土に対して反戦運動をやっていた。面子丸つぶれ、ということで○されたそーです。(*註:民主化運動でショ!この人物、あちこち「反戦運動」という間違いを書き散らしている)
本当かどうかは知らんが、そのハニートラップが言っていたw>
●
<国民党諜報部門の高官、谷正文氏が自ら告白、冷戦の悲劇:テレサ・テンは国民党安全局三処のために働く人員だった。
1968年夏、テレサはシンガポールから1969年の国立大劇場での慈善音楽界公演への招待を受けた。そのため弱冠15歳のテレサは台湾国民政府関係部門に出境申請を提出した。
当時大陸は文革の動乱期であり台湾も蒋介石が軍事管制の戒厳令をしいていた。全台湾が国民党の憲兵の厳格な軍政のもと、各種民間社会活動や人々の自由は表にはわからないように監視され、言うまでもなく出入境管理制度も厳格になった。(ということで交換条件として情報工作をさせられたらしい)
テレサのようにこうして特務工作情報員にさせられた人員は原則的に専門スパイと根本的に違いがある。彼らは特別技能を要するような諜報工作を担当するのではなくただ彼らの現存の条件下において、適当な状況下で国民党政府に奉仕しただけだ。
ちなみにこの発言はテレサの家族が全否定し、、、
「親愛なる大陸の同胞よ、こんにちは、私はテレサ・テンです。私は今金門の放送局に来て大陸の沿海地域の同胞に向かい放送しています。
私が今日ここで言いたいのは、自由な祖国の第一前線金門に立てることができとても嬉しく幸せだということです。
私は大陸の同胞にも私たちのように自由と民主を享受してもらいたいのです。自由と民主と豊かさのある生活で初めて個人の理想を実現できる機会が得られるのです。」
(略)
でもこのテレサ効果は凄かったらしく中国中にテープが回っていったそうです。(略)
時の中国政府は放送禁止だけでなく聴くことも禁じて徹底的に取り締まったそうです。その理由は精神汚染。
あふれんばかりの才能に皆が群がり個人としてのテレサはなすすべなく流されてしまう。悲しい人生ですね。
スパイであったかどうかなんていうことは優秀であればあるほどわからないわけですから永遠の謎でしょう。
でも国民党に利用されていた事実以上に
彼女が中国民衆を愛して民衆のために歌い、民衆の自由と幸福を願っていたことが重要だと思います>。(中華状元への道から)
(*コメント:わたしは、彼女を犠牲者だという面からだけ見るのには反対だ。彼女自身の自主性や積極性は、軍の慰問のビデオを見れば一目瞭然である。生き生きしている面もあるのである。その是非がどうであれ。また、わたしは、彼女の政治的立場に関し、ひとことも賛意も反意も表してはいない。わたしは、彼女の歌を愛するのである)。
●
「歌手活動を休止していた1990年代に、二回ほど彼女の死亡説が流れた。一度目は、1990年5月頃に父親の葬儀への欠席をきっかけに病死説が。二度目は、翌年4月頃に病死説・暗殺説が流れていた。暗殺説の背景に、「中国の民主化」の影響力を阻止したい中国当局の関与説が上がっている」(テレサテンを偲ぶページ)。
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100722陰謀が進行している
■100722陰謀が進行している
*詳しくは書かないが、確実にある戦略目的をもって、連日の攻撃という陰謀が進行している。
1、
公安あるいは、宗教組織は、自宅横のマンション2階のはじの部屋である。
2回、居間などから撮影を行なったが、いずれも女などが必ずこっちを監視しているのが、はっきり分かる。
本日の会話は次のとおり。(揶揄ばかとは違って、黙っても聞こえる。だって、やつらの窓は盗聴の便宜のため常に開けているから、だ)
男「いま、鍵、開げだべ?」
女「うん」
先日の会話。
(麗君の死を惜しむ、という文をアップしたら、ものの1分も経たないうちに)
男「泣いでる、たって、おめ(お前)だげだべ(ぇ)よ(ぉ)」
女「ね、"止揚"ってなあに?」
男「うんにゃらもんにゃら」
先日夜の会話。(我輩の寝息が聞こえる位置、2階壁に張り付いてベッド)
男「いま、カメラ回わすおど(音)、さねしちゃたが?(訳=しなかったか)」
女「うん」
前日の夜の会話。
わがはい、下に降りる。
女「下さ、降りだよ」
男「便所さ、行ったんだべ(ぇ)よ」
*常に、こういう状態である。逐一、かすかな動きでも情報収集している。
いま、こいつらは、謀略のために準備中である。
既報した道路向かいの「***屋」2階に、やはりすぱいが潜んでいる。画像にはっきり写っていた。
2、
こいつら、盗聴張り付き男女の部屋の真下、これまた先般アップした。
不審な1階無人部屋。最短距離。チラシが差し込まれたまま。
いちおう、部屋は無人のように見えるが、先日の山からの帰宅時には、たしかに女が在室していた。無人であるべき部屋に居るとなれば、(きょうも朝イヌ吠え嫌がらせで、居たように感じた)
これは、合鍵を持っているか(前に在室していた人間が合鍵を作った)、管理人か何かでなければならない。
3、
先般、取り上げた、別棟の角部屋おんなも、じつにしつこい。
板をぶっ叩いて、きがいのヒステリーのように、騒音を出しまくったのは、こいつであろう。
嫌がらせ侵入跡。
我が家の、敷地の草は、こいつら連中の連日の嫌がらせ侵入で、草はむしられ茶色めいて倒れている、から、これで奴らが通っている証拠になっている。
おまけに、雨避け布を止めていた洗濯バサミが、マンション右棟(張込み側)と、左棟(板叩き女角)の間の通路に落ちていた。
盗んだ洗濯バサミを遺棄。
俺のところから盗んで捨てたのである。
4、
こいつらは、もっと、すごいことをしている(数件の犯罪行為)が、ここでは書かない。
愚連隊みたいな男のスクーターを、追跡したら、幹道の向こうに住宅に入った。近いところから、マンションまで出張してきているのである。仲間がマンションに居るのだ。」
盗聴かべ男か、別の部屋のストーカーらか知らぬが、マンションから即スタートする男は、スクーター乗りである。
一度、待ち伏せスクーターの男の写真を載せたが、そいつである可能性が濃厚になった。
5、
先日、我輩の自転車の行き先を塞いで、いやがらせ停車した男のクルマは、いつか言及した、怪しい尾行疑惑の終着場所の工場であった*研、そのものずばりの会社の車だった。
自転車で公務員住宅に近づくと、必ず、見張りの住人が表(外)に出ている。我輩が来るか、見張っているのである。
これは、偶然ではない。
何度もあったから、これは「連絡が行っている」と見なすべき。なぜなら、我輩が通過すると、すぐ官舎に足早に帰るのが、つね。
これは、警察の手口というか分野ではないだろう。
やはり、宗教、もっとも怪しいのは、いうまでもなく、あれ、である。ここまで組織的に動くとなれば、あれである。おそろしいぞ。
6、
テレサ・テンの、暗殺説の疑いが、調査の結果、濃厚になった。(中国では、暗殺説は当然のように支持され、日本のように病気説は少ないという)。
彼女のスタンスは極めて明瞭であった。だからこそ、不評を買った。
香港でのコンサートに、中国幹部が一角を占めていたのを見た彼女は、すぐ「中華民国頌」を歌った、機転切り返しのうまさである。(黄色の政治メッセージを想起せよ!)
<「大陸でコンサートを開いても、聞きに来るのは共産党の幹部ばかり。私の歌を愛してくれる一般の人々には届かない」というのがその理由。1984年に香港のホンハムでコンサートが開かれた際も、会場に軍服姿の共産党幹部が多く座っているのを見るや『中華民國頌』という曲を歌って、軍服の一団が席を立ったというエピソード>があるという。(あじえんざんまい、から)
ついでに言えば、あの淡淡幽情の宋詞を書いた詩人は、時の王朝によって暗殺されるのである。
この歌は、政治メッセージだ!
王朝権力は中国政府権力であり、これはじつは共産党批判になっているのである。
わたしは、テレサがあの「幾多愁」を歌った時、マイクを握った手を、こぶし(小節)の区切りを勢いよく付ける、握り直したのを見た。
彼女のいつもの、気風(きっぷ)のよさの表現でもある。
悲しい叙情を漂わせる技術の陰に、逆の動作の中に、はっきりした彼女の「意志」を見た。あれは、「黄色メッセージ」と同じなのである。泣いているのは、民衆である。その暗喩。
彼女が、唐選宋詞を「たまたま」手にしたのは、果たして自分の「偶然」だったのか、はたまた誰かとの接触の中で、得たものかは、分からない。
しかし、軍への慰問を亡くなる直前にも決して欠かさず、なにより、自主的に積極的に参加していることに、注目すべきだろう。彼女は、「活動家」なのである。だからこそ、「君また何時還る」から「いえらいしゃん」また、今回の淡淡幽情に至る「深慮」があった、というべきだろう、と思う。
そして、彼女が、いかに、大衆の目線でモノを考えていたか、は、9年間一緒に歌手生活を見て来たマネージャーだった彼が、テレサはレコードにこだわった、と証言していることから分かるだろうと思う。
蛇足だが、レコード「香港」は4000万円以上の経費が掛かっている、という。ペイしない額である。これは、完成度にテレサがこだわったからだ、という。
彼女には、この歌詞に思い入れがあったのだろう。ついでに言うなれば、作詞家の荒木氏は何かしらテレサの私生活の方向を暗示するような、歌詞ばかり書いているような、じつに不可思議な動きというか、作詞をしている。なぜなのか。
それはさておくとして、
他の陰謀説は、フランスと日本の謀略を指摘しているが、当たり前に考えれば、民主化闘争を嫌っているのは、中国なのであるから、中国が一枚かんでいるのではないか、と思うのが当然じゃないか、と思う。
結局のところ、私は肺病の可能性を見ていたが、あれほどの急性憎悪は普通ありえない。肺の病気はだんだん悪くなるので、死に至るまでは、酸素吸入などの経過措置がどうしても通過のスタンスというかロードなのである。
首にあったという注射針の跡。
直前に(?)、黒服の男が彼女の部屋に入っていった、という証言。
どうして、入れたのか不明だが、テレサがカギを掛けていたら、合鍵をもって入るか、マスターキー(カード)であればすんなり入れる。しかも、これはホテル従業員から入手可能だろう。
死亡原因は、呼吸器への急速悪化をもたらす薬剤の注入。
犯人は、仏人の毎日の行動をチェックしており、外出して行くのを確認してから、実行に移った。
仏人が、共犯であったのかどうかは不明だ。
だが、この1989年ごろ、フランスが新幹線を中国に売り込みに掛かっていた、という掲示板での指摘もあるように、民主化を嫌う中国とともに、反中国のテレサ・テンは、フランスにとっても、有名実力歌手だけに、目の上のたんこぶ、であった。
陰謀説は、フランスと日本の共同謀議だと説く。
これは、日本が天安門事件にもかかわらず、中国と本格的に、交流を深めて行く時期と一致するから、日本にとってもテレサは、目障りな存在である。
テレサの死んだのは、1995年の5月8日。
日本政府の動きはこうだ。
1995年2月 日中友好21世紀委員会第10回会議(於:北京、青島)
4月 喬石全人代常務委員長訪日
5月 村山富市総理訪中
8月 村山富市総理、終戦50周年にあたり総理談話を発表
11月 江沢民国家主席、銭其琛副総理兼外交部長訪日(於:大阪、APEC)
12月 河野洋平外相訪中
村山富市総理の訪中日は、5月4日あたりらしい(調査不足)。
しかし、重要な、例の村山談話のあったのが、8月なのだ。邪魔者は消せの、時期としては十分なのではないか。
(シラクの当選プレゼントだというのだが、どうだろう。わからん)。
どうして、誰も麗君テレサ・テンを守ってやれなかったのか、それがくやしい。
*詳しくは書かないが、確実にある戦略目的をもって、連日の攻撃という陰謀が進行している。
1、
公安あるいは、宗教組織は、自宅横のマンション2階のはじの部屋である。
2回、居間などから撮影を行なったが、いずれも女などが必ずこっちを監視しているのが、はっきり分かる。
本日の会話は次のとおり。(揶揄ばかとは違って、黙っても聞こえる。だって、やつらの窓は盗聴の便宜のため常に開けているから、だ)
男「いま、鍵、開げだべ?」
女「うん」
先日の会話。
(麗君の死を惜しむ、という文をアップしたら、ものの1分も経たないうちに)
男「泣いでる、たって、おめ(お前)だげだべ(ぇ)よ(ぉ)」
女「ね、"止揚"ってなあに?」
男「うんにゃらもんにゃら」
先日夜の会話。(我輩の寝息が聞こえる位置、2階壁に張り付いてベッド)
男「いま、カメラ回わすおど(音)、さねしちゃたが?(訳=しなかったか)」
女「うん」
前日の夜の会話。
わがはい、下に降りる。
女「下さ、降りだよ」
男「便所さ、行ったんだべ(ぇ)よ」
*常に、こういう状態である。逐一、かすかな動きでも情報収集している。
いま、こいつらは、謀略のために準備中である。
既報した道路向かいの「***屋」2階に、やはりすぱいが潜んでいる。画像にはっきり写っていた。
2、
こいつら、盗聴張り付き男女の部屋の真下、これまた先般アップした。

いちおう、部屋は無人のように見えるが、先日の山からの帰宅時には、たしかに女が在室していた。無人であるべき部屋に居るとなれば、(きょうも朝イヌ吠え嫌がらせで、居たように感じた)
これは、合鍵を持っているか(前に在室していた人間が合鍵を作った)、管理人か何かでなければならない。
3、
先般、取り上げた、別棟の角部屋おんなも、じつにしつこい。
板をぶっ叩いて、きがいのヒステリーのように、騒音を出しまくったのは、こいつであろう。

我が家の、敷地の草は、こいつら連中の連日の嫌がらせ侵入で、草はむしられ茶色めいて倒れている、から、これで奴らが通っている証拠になっている。
おまけに、雨避け布を止めていた洗濯バサミが、マンション右棟(張込み側)と、左棟(板叩き女角)の間の通路に落ちていた。

俺のところから盗んで捨てたのである。
4、
こいつらは、もっと、すごいことをしている(数件の犯罪行為)が、ここでは書かない。
愚連隊みたいな男のスクーターを、追跡したら、幹道の向こうに住宅に入った。近いところから、マンションまで出張してきているのである。仲間がマンションに居るのだ。」
盗聴かべ男か、別の部屋のストーカーらか知らぬが、マンションから即スタートする男は、スクーター乗りである。
一度、待ち伏せスクーターの男の写真を載せたが、そいつである可能性が濃厚になった。
5、
先日、我輩の自転車の行き先を塞いで、いやがらせ停車した男のクルマは、いつか言及した、怪しい尾行疑惑の終着場所の工場であった*研、そのものずばりの会社の車だった。
自転車で公務員住宅に近づくと、必ず、見張りの住人が表(外)に出ている。我輩が来るか、見張っているのである。
これは、偶然ではない。
何度もあったから、これは「連絡が行っている」と見なすべき。なぜなら、我輩が通過すると、すぐ官舎に足早に帰るのが、つね。
これは、警察の手口というか分野ではないだろう。
やはり、宗教、もっとも怪しいのは、いうまでもなく、あれ、である。ここまで組織的に動くとなれば、あれである。おそろしいぞ。
6、
テレサ・テンの、暗殺説の疑いが、調査の結果、濃厚になった。(中国では、暗殺説は当然のように支持され、日本のように病気説は少ないという)。
彼女のスタンスは極めて明瞭であった。だからこそ、不評を買った。
香港でのコンサートに、中国幹部が一角を占めていたのを見た彼女は、すぐ「中華民国頌」を歌った、機転切り返しのうまさである。(黄色の政治メッセージを想起せよ!)
<「大陸でコンサートを開いても、聞きに来るのは共産党の幹部ばかり。私の歌を愛してくれる一般の人々には届かない」というのがその理由。1984年に香港のホンハムでコンサートが開かれた際も、会場に軍服姿の共産党幹部が多く座っているのを見るや『中華民國頌』という曲を歌って、軍服の一団が席を立ったというエピソード>があるという。(あじえんざんまい、から)
ついでに言えば、あの淡淡幽情の宋詞を書いた詩人は、時の王朝によって暗殺されるのである。
この歌は、政治メッセージだ!
王朝権力は中国政府権力であり、これはじつは共産党批判になっているのである。
わたしは、テレサがあの「幾多愁」を歌った時、マイクを握った手を、こぶし(小節)の区切りを勢いよく付ける、握り直したのを見た。
彼女のいつもの、気風(きっぷ)のよさの表現でもある。
悲しい叙情を漂わせる技術の陰に、逆の動作の中に、はっきりした彼女の「意志」を見た。あれは、「黄色メッセージ」と同じなのである。泣いているのは、民衆である。その暗喩。
彼女が、唐選宋詞を「たまたま」手にしたのは、果たして自分の「偶然」だったのか、はたまた誰かとの接触の中で、得たものかは、分からない。
しかし、軍への慰問を亡くなる直前にも決して欠かさず、なにより、自主的に積極的に参加していることに、注目すべきだろう。彼女は、「活動家」なのである。だからこそ、「君また何時還る」から「いえらいしゃん」また、今回の淡淡幽情に至る「深慮」があった、というべきだろう、と思う。
そして、彼女が、いかに、大衆の目線でモノを考えていたか、は、9年間一緒に歌手生活を見て来たマネージャーだった彼が、テレサはレコードにこだわった、と証言していることから分かるだろうと思う。
蛇足だが、レコード「香港」は4000万円以上の経費が掛かっている、という。ペイしない額である。これは、完成度にテレサがこだわったからだ、という。
彼女には、この歌詞に思い入れがあったのだろう。ついでに言うなれば、作詞家の荒木氏は何かしらテレサの私生活の方向を暗示するような、歌詞ばかり書いているような、じつに不可思議な動きというか、作詞をしている。なぜなのか。
それはさておくとして、
他の陰謀説は、フランスと日本の謀略を指摘しているが、当たり前に考えれば、民主化闘争を嫌っているのは、中国なのであるから、中国が一枚かんでいるのではないか、と思うのが当然じゃないか、と思う。
結局のところ、私は肺病の可能性を見ていたが、あれほどの急性憎悪は普通ありえない。肺の病気はだんだん悪くなるので、死に至るまでは、酸素吸入などの経過措置がどうしても通過のスタンスというかロードなのである。
首にあったという注射針の跡。
直前に(?)、黒服の男が彼女の部屋に入っていった、という証言。
どうして、入れたのか不明だが、テレサがカギを掛けていたら、合鍵をもって入るか、マスターキー(カード)であればすんなり入れる。しかも、これはホテル従業員から入手可能だろう。
死亡原因は、呼吸器への急速悪化をもたらす薬剤の注入。
犯人は、仏人の毎日の行動をチェックしており、外出して行くのを確認してから、実行に移った。
仏人が、共犯であったのかどうかは不明だ。
だが、この1989年ごろ、フランスが新幹線を中国に売り込みに掛かっていた、という掲示板での指摘もあるように、民主化を嫌う中国とともに、反中国のテレサ・テンは、フランスにとっても、有名実力歌手だけに、目の上のたんこぶ、であった。
陰謀説は、フランスと日本の共同謀議だと説く。
これは、日本が天安門事件にもかかわらず、中国と本格的に、交流を深めて行く時期と一致するから、日本にとってもテレサは、目障りな存在である。
テレサの死んだのは、1995年の5月8日。
日本政府の動きはこうだ。
1995年2月 日中友好21世紀委員会第10回会議(於:北京、青島)
4月 喬石全人代常務委員長訪日
5月 村山富市総理訪中
8月 村山富市総理、終戦50周年にあたり総理談話を発表
11月 江沢民国家主席、銭其琛副総理兼外交部長訪日(於:大阪、APEC)
12月 河野洋平外相訪中
村山富市総理の訪中日は、5月4日あたりらしい(調査不足)。
しかし、重要な、例の村山談話のあったのが、8月なのだ。邪魔者は消せの、時期としては十分なのではないか。
(シラクの当選プレゼントだというのだが、どうだろう。わからん)。
どうして、誰も麗君テレサ・テンを守ってやれなかったのか、それがくやしい。
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