びーかん日記
尾行と監視され日記、略して「びーかん日記」である。これは、公然たるコーアンとその手先のイジメと弾圧の記録だ。花、鳥、蝶も少々。
| HOME |
080531浜辺の歌
*
浜辺の歌(成田為三作曲、林古渓作詞)
1、
あした浜辺を さまよえば、
昔のことぞ しのばるる。
風の音よ、雲のさまよ、
よする波も かいの色も。
2、
ゆうべ浜辺を もとおれば、
昔の人ぞ、忍ばるる。
寄する波よ、かえす波よ。
月の色も、星のかげも。
これも名曲である。(本人手書きの楽譜では曲名「はまべ」となっている)
「あした」というのは、朝ということである。現代っ子は「明日」と思うらしいから、註釈しておく。「かい」というのは水をこぐ「櫂」ではなく「貝」だな。
「もとおれば」とは、辞典によれば「回る、廻る」と当てている。「めぐる」ということである。3行目の「〜よ、〜よ。」は言わば抒情のピークの絶叫調で、終行は「〜も、〜も。」はその余韻を付け足りしているような感じだ。
nhkの近ごろの懐古趣味(bs2)は全然組みしないが、まあ時には<甘く切ない>感傷をもって過去を思い出すことまで全否定してもしょうがない。
寄せては返す波や、月夜の光や、星のきらめきや、浜辺の落ちている貝さえも、あるいは青空に浮かんだ綿菓子のような白い雲、耳そばを切る風の音でさえ、青春の過去の切なさを誘うかもしれない。
名曲という由縁は、その、ヒトの琴線をふるわす叙情性にある。それは、失恋ばかりでなく、かえらぬ過去と、生命の、思い出だからだ。
浜辺の歌は、(その)学生時代の作曲の歌である。つくられたイキサツには興味深い物語があるのだが、省略する。童話童謡雑誌の「赤い鳥」運動にも参画しており、西條八十(やそ)「かなりや」の作曲も成田である。
(ちなみに、「かなりや」はカナリアを後ろの山に捨てるとか、藪に埋めるだとか、ムチでぶとうか、とかヒドイ歌詞である(冗談を込めて)。)
(成田為三は秋田県北秋田郡米内沢村(元の地名)生まれで、大正2年1913年秋田県師範学校を卒業し1年小学教員をしたのち、翌年東京音楽学校に入学している。)
名曲が、独逸留学時や後ではなく、青春多感な時期のものであることが、もっとも面白い。
(*成田為三の物語はどこかのテレビでやったような気がする。忘れた)
成田為三の記念館は「浜辺の歌音楽館」といい、生まれ故郷の米内沢にあり、今は「北秋田市」になっている。北から向えば、マタギで有名な阿仁や(左折)、可憐なコアニチドリで有名な小阿仁(右折)へ行く途中の「森吉」の町にある。森吉幹部交番を過ぎて橋を渡った川向こう(阿仁川)の場所にある。
六角形のレンガ色の建物が特徴だ。
浜辺の歌(成田為三作曲、林古渓作詞)
1、
あした浜辺を さまよえば、
昔のことぞ しのばるる。
風の音よ、雲のさまよ、
よする波も かいの色も。
2、
ゆうべ浜辺を もとおれば、
昔の人ぞ、忍ばるる。
寄する波よ、かえす波よ。
月の色も、星のかげも。
これも名曲である。(本人手書きの楽譜では曲名「はまべ」となっている)
「あした」というのは、朝ということである。現代っ子は「明日」と思うらしいから、註釈しておく。「かい」というのは水をこぐ「櫂」ではなく「貝」だな。
「もとおれば」とは、辞典によれば「回る、廻る」と当てている。「めぐる」ということである。3行目の「〜よ、〜よ。」は言わば抒情のピークの絶叫調で、終行は「〜も、〜も。」はその余韻を付け足りしているような感じだ。
nhkの近ごろの懐古趣味(bs2)は全然組みしないが、まあ時には<甘く切ない>感傷をもって過去を思い出すことまで全否定してもしょうがない。
寄せては返す波や、月夜の光や、星のきらめきや、浜辺の落ちている貝さえも、あるいは青空に浮かんだ綿菓子のような白い雲、耳そばを切る風の音でさえ、青春の過去の切なさを誘うかもしれない。
名曲という由縁は、その、ヒトの琴線をふるわす叙情性にある。それは、失恋ばかりでなく、かえらぬ過去と、生命の、思い出だからだ。
浜辺の歌は、(その)学生時代の作曲の歌である。つくられたイキサツには興味深い物語があるのだが、省略する。童話童謡雑誌の「赤い鳥」運動にも参画しており、西條八十(やそ)「かなりや」の作曲も成田である。
(ちなみに、「かなりや」はカナリアを後ろの山に捨てるとか、藪に埋めるだとか、ムチでぶとうか、とかヒドイ歌詞である(冗談を込めて)。)
(成田為三は秋田県北秋田郡米内沢村(元の地名)生まれで、大正2年1913年秋田県師範学校を卒業し1年小学教員をしたのち、翌年東京音楽学校に入学している。)
名曲が、独逸留学時や後ではなく、青春多感な時期のものであることが、もっとも面白い。
(*成田為三の物語はどこかのテレビでやったような気がする。忘れた)
成田為三の記念館は「浜辺の歌音楽館」といい、生まれ故郷の米内沢にあり、今は「北秋田市」になっている。北から向えば、マタギで有名な阿仁や(左折)、可憐なコアニチドリで有名な小阿仁(右折)へ行く途中の「森吉」の町にある。森吉幹部交番を過ぎて橋を渡った川向こう(阿仁川)の場所にある。
六角形のレンガ色の建物が特徴だ。
080527夏は来ぬ、ウタのわけ
■08/05/27(火)夏は来ぬ、ウタのわけ

夏は来ぬ 佐佐木信綱 作詞 小山作之助 作曲(1896年明治29.5)岩波文庫。
1、
う(卯)の花のにおう垣根に、 時鳥(ホトトギス)
早もき(来)なき(鳴)て、忍(しのび)音(ね)もらす 夏は来ぬ
2、
さみだれ(五月雨)のそそぐ山田に、早乙女(さおとめ)<初出異文=賤(しず)の女(め>が
裳(も)裾(すそ)ぬらして、玉苗う(植)うる 夏は来ぬ
3、
橘のかお(香)るのきば(軒場)の窓近く
蛍とびかい、おこた(怠)り諌(いさ)むる 夏は来ぬ
4、
棟(あうち)ち(散)る川べ(辺)の宿の門(かど)遠く、
水鶏(くいな=水谷錐=カネ扁無し)声して、夕月すずしき 夏は来ぬ
5、
さつきやみ(異文=夏は来ぬ)、蛍とびかい、水鶏なき
卯の花さ(咲)きて、早苗植えわたす 夏は来ぬ
*<風かおる五月>というフレーズを、五月の洋館にちなんだ文章に書いていた同郷人が居て、偶然目にした。

その五月に、一番ふさわしい曲が此れである。わたしなぞは、山に行くクルマの中でうたいながら運転している始末である。ときおり、間違いながら。
調べて見ると、過去、たしか信綱は宮崎だかの九州の農村風景を念頭に作詞したとか、という記述を何処かで見たような記憶がある。信綱は生誕地は三重県、小山は新潟・旧大潟である。
タチバナはカンキツ類で、和歌山・山口・四国・九州の海岸に近い山地にまれに自生、とある。水鶏(くいな)は北海道と本州北部で繁殖、秋冬に本州中部以南の湿地草地に住む、とあり、これでは春の季節に合わない。
「棟あうち」という木が鍵なのだが、さっぱり樹木図鑑に出て来ない。アウチでなくてアウト。

南の地方でもいいのだが、(それだとクイナがネックになるが)「水鶏が鳴く」というのは水鶏類とした方がいいのかも知れない。調べると、クイナではなく「ヒクイナ」(緋色水鶏)だと、全国に水田や湿地に住む、とありぴったりである。(蛇足だが、先日の旅行で沼に進水したのは水鶏に似ていた。繁殖期なので一致する。)
五月の田植えのあと、すぐ蛍が来るというのは東北に住む身としては実感が湧かないが、他ではどうなのであろうか。

また、卯の花と言っても、東北の「谷ウツギ」(赤色、五月)ではなくて、「ノリウツギ」(白色、七月)でもないだろう。やはり、庭木のウツギということになりそうだ。これだと、こちらでは5月末から6月だが、四国あたりだと5月には咲いているかもしれない。
やはり、季節探偵としては、このウタは「南の地方の歌」ということになりそうだ。でも、五月晴れということもあるじゃん。青空が見えると、もう夏になたような気分にはなる。じっさい、先だっては23度とか25度まで行ったし。

夏は来ぬ 佐佐木信綱 作詞 小山作之助 作曲(1896年明治29.5)岩波文庫。
1、
う(卯)の花のにおう垣根に、 時鳥(ホトトギス)
早もき(来)なき(鳴)て、忍(しのび)音(ね)もらす 夏は来ぬ
2、
さみだれ(五月雨)のそそぐ山田に、早乙女(さおとめ)<初出異文=賤(しず)の女(め>が
裳(も)裾(すそ)ぬらして、玉苗う(植)うる 夏は来ぬ
3、
橘のかお(香)るのきば(軒場)の窓近く
蛍とびかい、おこた(怠)り諌(いさ)むる 夏は来ぬ
4、
棟(あうち)ち(散)る川べ(辺)の宿の門(かど)遠く、
水鶏(くいな=水谷錐=カネ扁無し)声して、夕月すずしき 夏は来ぬ
5、
さつきやみ(異文=夏は来ぬ)、蛍とびかい、水鶏なき
卯の花さ(咲)きて、早苗植えわたす 夏は来ぬ
*<風かおる五月>というフレーズを、五月の洋館にちなんだ文章に書いていた同郷人が居て、偶然目にした。

その五月に、一番ふさわしい曲が此れである。わたしなぞは、山に行くクルマの中でうたいながら運転している始末である。ときおり、間違いながら。
調べて見ると、過去、たしか信綱は宮崎だかの九州の農村風景を念頭に作詞したとか、という記述を何処かで見たような記憶がある。信綱は生誕地は三重県、小山は新潟・旧大潟である。
タチバナはカンキツ類で、和歌山・山口・四国・九州の海岸に近い山地にまれに自生、とある。水鶏(くいな)は北海道と本州北部で繁殖、秋冬に本州中部以南の湿地草地に住む、とあり、これでは春の季節に合わない。
「棟あうち」という木が鍵なのだが、さっぱり樹木図鑑に出て来ない。アウチでなくてアウト。

南の地方でもいいのだが、(それだとクイナがネックになるが)「水鶏が鳴く」というのは水鶏類とした方がいいのかも知れない。調べると、クイナではなく「ヒクイナ」(緋色水鶏)だと、全国に水田や湿地に住む、とありぴったりである。(蛇足だが、先日の旅行で沼に進水したのは水鶏に似ていた。繁殖期なので一致する。)
五月の田植えのあと、すぐ蛍が来るというのは東北に住む身としては実感が湧かないが、他ではどうなのであろうか。

また、卯の花と言っても、東北の「谷ウツギ」(赤色、五月)ではなくて、「ノリウツギ」(白色、七月)でもないだろう。やはり、庭木のウツギということになりそうだ。これだと、こちらでは5月末から6月だが、四国あたりだと5月には咲いているかもしれない。
やはり、季節探偵としては、このウタは「南の地方の歌」ということになりそうだ。でも、五月晴れということもあるじゃん。青空が見えると、もう夏になたような気分にはなる。じっさい、先だっては23度とか25度まで行ったし。
| HOME |





